魂の排泄

時々、ぐわーっと辛くなる。
そうなると文章を書きたくなる無性に。
言葉を考え言葉を吐き出すことの快感。
巧いとか下手とか誰の為とか関係なく私は言葉の世界に埋没する。
言葉で全てを表したい。
気持ちとか気持ちとか気持ちを。
狂いだす前に言葉にする。
そんな風にして保たれている世界もある。


誰かに発見されて、誰かに捨てられる。
そんなことは当たり前のことなのだけど、
私はそんなことが嫌になる。
人であること。
人として生きること。
人の当たり前の作法が私は時々悲しい。
どうして悲しいことばかりに目がいくんだろう。
楽しいこともあるはずなのに、
楽しいことは一時的に通り過ぎて行くだけだ。
人生は悲しいがベースだ。


多幸感あふれる音楽を聴いていると、
音楽は麻薬だと思った。
彼らは麻薬を産み出している。
私も麻薬を産み出したいと思った。
もしくは麻薬そのものになりたいと思った。
そうでもしないとこの世は悲しいことが多すぎる。


私は色々なことを考えすぎると思った。
もしくは色々な世界を観すぎて、
なにがなにやら解らなくなっていると思った。
ほんとうは色々なことをシンプルにできるはずなのだ。
しかし、あれもこれもと欲張りすぎて、
わけがわからなくなっている。
時々息が苦しくなるのはそのせいだ。


気持ちを言葉にしたいが、言葉に出来ないことがほとんどだ。
「ああ」と溜め息をつくしかない。
複雑だと思っていることは、
実は全く複雑ではなく、
ただ、私の精神構造が複雑なのだと思った。
30歳までに、私は単細胞になる。
が、そうはならない。
ますますこんがらがった世界に引きずり込まれて行くんだろう。
いや、そうではない。
単純になる。というよりも単純にするのだ。


誰にあてて書くでもない。
もっとこういう訳の解らない言葉の羅列を産み出し続けたらいいと思う。
そしたら、私は訳のわからないまま自由になれる。


猫を撫でたときのさわり心地や、
黒目がちな瞳を観るたびに、
私はどこかに溶けて行くような感覚に陥る。
猫は麻薬。
ふんわりと気持ちがよくて、
私はほんとうに心の底から愛しているのだと、
つくづく思い知らされるのだ。


恋は常に一方通行。
実ることは無い。
ただ激しく私は思う。
そこにある熱を使えば、
家中の電力をまかなえるような気もする。


風船のようなものにひとりひとりが入って、
ぷかぷか浮かんでいる。
通り過ぎる人。
こちらにメッセージを送る人。
近づくことはできても、
同じになることはできない。
ずっと近づき続けること。
やっぱり悲しい。
私は悲しくて悲しくて仕方が無いのだ。
特に今夜はひどい。