夜明け前

台風が通過した。
激しい雨と風が通り過ぎて行った。
その後の静けさの中にいる。
日常が戻ってきた。


私はカレーを作った。
市販のルーで作る家庭的なタイプのものだ。
それしか作れない。
鶏肉と、茄子、ピーマン、ジャガイモ、タマネギ、
そしてトマトを入れる。
カレーはおいしかった。
明日もカレーだ。


カレーを作りながら、私はお母さんになりたいと思った。
なんでも「ガハハ」と笑うお母さんだ。
子どもや旦那をゆったりと包み込んで、
いつも簡単で能天気なことしか考えてないようにみえるお母さん。
私は以前異性にそういう存在になることを求められたことがある。
でも、私には出来なかった。
色々なことを深刻に考えてしまうし、なんだかいつも憂鬱な気分だし、
「あっけらかん」とした存在には成れなかった。
これから歳を重ねたら「あっけらかん」とした私に成れるだろうか。
深刻や憂鬱を抱えて「あっけらかん」を演出できるだろうか。
深刻さや憂鬱さはどこまでも追いかけてくる。
逃げても、逃げても、そこにあって、私を支配する。
だったら逃げるんじゃなくて、逆に抱きしめてやることにする。
すると満足してどこかに行ってしまうみたいだ。
そんな風な仕組みがこの世にはあると思う。


私はずっと必死で何かを守っていたような気がする。
これからも、私は必死で守ろうとする。


寂しい気持ちも、心配な気持ちも、疑う気持ちも、
全部思い切り味わったから、もういいんじゃないかと思う。
私の感覚は変容する。
あっちに行ったり、こっちに行ったり、
ふらふらと魂は彷徨い、その軌跡を遠くから眺めると、
なるほど、自分が求めているものが見えてくる。
28年も生きていると、それなりに確定してくるものもある。
その時、その時の自分の気持ちに正直になり続けること。
それは嫌な現実を見せることもある。
でも、いつかわかるときがくる。


とにかく、私はお母さんになりたい。
でも、まだお母さんになる時じゃない。
だいぶ先、私はいづれお母さんになる。
時が熟して、色々な条件が整って、再び巡り会って、お互いを発見する、
その時が来るまで、私は生き延び続ける。
生き延びている間に、たくさんのことを知って、
「あっけらかん」とした存在になるのだ。


今感じている苦しみであり悲しみがその為だと考えることができたら、
私は耐えることが出来る。
きっと素晴らしい何かを産み出すだろう。


人生のほとんどは、焦ったり、迷ったり、不安になったりしながら、
ほんとうが解るその時を待つのみなのだ。