ふるさと

怪我をした猫を癒すこと、朝顔を育てること、親を保護すること。
私が得意なことってドラクエで言うとホイミだ。
ホイミしかできないと言ってもいい。


田口ランディ氏の「アルカナシカ 人はなぜ見えないものを見るのか」を読んでいる。
久しぶりの田口ランディ氏の本。
最近、改めて田口ランディ氏の本を読みたいと思った。


私が文章を読む楽しさを知ったのは、
田口ランディ氏のエッセイがとても大きい。
よしもとばなな氏も、さくらももこ氏も居るけれど、
田口ランディ氏の愚直なまでの実直さのようなものには、
ものすごく影響を受けたような気がする。


女性ならではのずうずうしさというか、
ずけずけと物を言うかんじ。
私はそういうことに憧れていたんだと思う。
読んだ時に「はっ」となる感じ。
情報がぐんぐん流れ込んでくる感じ。
既成概念や、常識、当たり前の殻が外れて、頭の中がすっきりして爽快な感じ。
それは紛れもなく言葉による「魔法」である。
音楽と同様言葉でも人を「魔法」にかけることができるんだ、と感動した。


数々の出会いを引き寄せて、この世の不思議を言葉にし続ける田口氏は、
謎を解くひとつの鍵である。


膨大な情報をかき集め丁寧に言葉に変換していく。
田口氏が観た世界、私たちが観る世界。
それはどこか通じ合っている。


UFOも観ないし、幽霊も観ない、超能力も無い。
音楽の才能も無いし、絵を描く才能も無い。
しかし、私は解ることが出来る。
私は私なりに理解できる。
理解をどこまで発表できるかというのが、
私のブログでの試みである。
一瞬の光。
極めて雑に私は言葉に変換する。
それでしか生きている証は示すことが出来ない。
あとは、地味に猫のトイレ掃除をしたり、
朝顔に水をあげたり、生ゴミを処理したり、
透析液をトイレに流すことぐらいだ。
そのような地味な仕事を確実にこなしながら、
私は大げさなことを求め続け、考え続け、表し続けるだろう。
これは本当に自分自身の為だ。
自分の魂の欲求の捌け口。


誰からも観られなくても、ただこっそり続けること。
そのことが私にとってすごく重要なのだ。
人間にはひとつぐらい誰しもそういうものがあるのかもしれない。