美しい人

今日は人生で初めて一目惚れというやつをした。
もはや「一目惚れ」や「恋」なんていう使い古された陳腐な言葉を使ってもいいものか悩むぐらいに、
人生観がぐらいついた一日だった。
ちょっと詳しく記しておく。


私は伊勢神宮の近くの喫茶店でアルバイトをしているのだけど、
その人はお客さんで一人でふらりとお店にやってきた。
「いらっしゃいませ」と言うと、
彼は私に向って笑顔で軽く会釈をした。
その行為は至って普通だ。
しかし、一番初めのこの笑顔に私はすでに全てを持っていかれたのである。
そう、私はどうしようもなく素敵な笑顔に弱い。
そしてこの笑顔がただの笑顔じゃなかった。
たくさんの情報がぶわーっと一気に頭の中を駆け巡るような笑顔とでもいうのか。
私でも初体験である。こんなことは。
私は「アジア人でよかった」と思った。
そして「仏教国でよかった」と思った。
なぜかはわからない。
多分日本人、というよりももっと広いアジア人独特の人の良さというか、
徳の高さ、そして品のよさのようなものが全面に溢れて出ていたからだと思う。
「うわあ、なんだ今の」
と高鳴る胸の鼓動を抑えつつ、その人の動向に注目して、
目の隅でちらちらとみていた。
彼は写真を撮る人らしく、撮った写真をチェックしていた。
そうこうしている間にお客さんがどんどん店を出て行き、
窓際に座っていた老夫婦と、その人だけになった。
すると、彼はひっそりと窓際の老夫婦を撮り始めた。
私はこれはほとんど魔法だと思った。
まるで、彼が老夫婦を撮る為にこの店に入ってきて、
他のお客さんは自然とはけていったように感じたからだ。
それぐらいに、店内は彼を中心にしてかつてない神秘的な空気感を醸し出していた。
彼が写真に収めている美しい風景を、私も美しいと感じながら一緒に眺めていた。
そしてその風景の素晴らしさに気付いているのは、この世に彼と私だけだった。
店内には何か起こりそうな空気が流れていた。
私は何か起こらないかと密かに期待していた。
すると、本当に起きた。
なんと彼はコーヒーに入れるミルクをこぼした。
それは絶妙で完璧なタイミングのハプニングだった。
彼は人懐っこい無邪気な笑顔で持って「こぼしてしまいました。すみません。」
と私に言った。
物事が完璧に起こり過ぎて私は少しパニックになった。
私は慌てたふりをして雑巾を手に彼のもとに駆け寄った。
全てが思い通り。
ここで私が何か気の利いた一言を言えばいい。
「観光ですか?」「どこからいらしんたんですか?」
でも、私は何も言えなかった。
近寄っただけで、ものすごく幸せで頭の中が空っぽになってしまったからだ。
私は何も言えずに、ただこぼれたミルクを雑巾で拭いただけだった。
絶好のチャンスをみすみす見逃したのである。
結局、休憩時間がまわってきて、厨房にすっこんでしまった。
最後の最後のチャンスであるレジも出来なかった。
私が言いたかったのは、「友達になってください」それだけだ。
彼と友達になれれば、きっと様々なことを知ることが出来る。
彼は普段から素晴らしい事を当たり前のこととしてこなしている。
そんな気がした。

そして、なんとなく、彼は目が合った瞬間に、私が彼の魅力に気付いてしまった事を、
気付いていたような気がする。
そういう勘が働きそうな人だった。
こんなにも心を動かされたのに、それ以上知り合う事はなく、そのまま、また人生が別々に進み始める。
もう、二度と出会う事はない。
ただ、私は本当にお互いが必要な人間であれば、
もう一度どこかで出会ったりするのだろうと信じている。
人生とはそういう仕組みだと思い込んでいる。
出会う事がないのなら、所詮その程度の間柄なのである。
そして、所詮その程度の間柄だとしても私は嬉しい。
こんなにもたくさんの気持ちと、このような美しい世界有り様を味わうことが出来たからだ。
私はきっと彼の笑顔を観たときのあの感じは一生忘れないし、
多分どこかでずっと追い求め続ける世界なのだと思う。
彼はとにかく美しかった。
美しいとはこんなにも素晴らしいものかと思った。
そしてあの美しさは気付ける人にしか気付けない美しさだった。
極東にある小さな国の、世界中から多種多様な人間がやってくるこの国の聖地で、
私は神様に出会ったと思った。
もはや俗物まみれだと思っていた聖地は、やっぱり聖地だったのである。
聖人はちゃんとやってくる。
今日も伊勢神宮は聖人も俗人も凡人も悪人も受け入れている。
その懐の深さに、私は憧れと敬意を抱き、心の底から感動している。