子どもの呪い

自分で自分にかけた呪いについて考えた。
子どもというのは本当に残酷だ。
他人を傷つけられない子どもは、代わりに自分自身を傷つける。
リストカットできるぐらいならまだマシかもしれない。
無言で、もの凄い力で、全力で、
私は私を傷つけた。

「つまんない子つまんない子つまんない子」

封印した。
自分を鉄の箱に閉じ込めて、鎖でぐるぐる巻きにして、鍵をかけて、
橋の上から箱を捨てた。
バイバイわたし。
つまんないわたし。
私は凡庸をいくわ。さようなら。


私は歩く。凡庸の道を。
ベッドに寝っころがって、テレビを観て、頭の中を空っぽにした。
何も起こらず、何も見えず、へらへら笑って、生温い日々を過ごす。


歩いて歩いて歩いたら、
目の前は崖だった。
あとに戻ろうとして振り返るとそこも崖だった。
右も左も崖だった。
私はこの世にぽつんと取り残された。
誰にも繋がってない。ただ孤独だった。
怖くて怖くて仕方が無かった。


真っ暗闇の崖の底から声が聞こえる。
うめき声のような、一生懸命耳を澄まさないと聴こえない声。
それは私が以前捨てた私の声だった。
その声を書き留めることに集中した。
その為だけに生きる事にした。
私がやるべきことはそれしか残っていないような気がしたからだ。


私の呪いは頑丈だった。鎖は切れない。
私が切ろうとした鎖は、
私の一部分だったから、痛かったし、辛かった。


呪いを解くには、痛みが必要だ。
痛みと引き換えに私たちは本当の大人になる。
そこにある真の再生であり、真の癒しを、
これからも考え続け、探し続けるだろう。


生きている間に傷を負ったとしても、癒す事が出来る。
それは全ての生命の自然の営みである。