考えない人

今、考えることがない。ほんとうにない。
ということに気が付いた。
時々こういうことが起こる。
人生の台風の目のようなところを通過しているのかもしれない。
ぼけーっとして、この世のありとあらゆる問題から、
解放されているようなそんな気持ちがする。
かといって、ウキウキするようなことを考えつくわけでもなく、
非常にニュートラルな空気の中を漫然と時が過ぎて行く。
こういうとき私は焦る。
ありとあらゆる問題から見放されてしまったように感じるからだ。
しかし、そうではないと思う事にする。
逆にありとあらゆる問題から解放されている、
非常に自由な時間という事だ。
しかし、私には使い方がわからない。
時間をもてあましているだけだ。
漫画を読むのも少し違う気がするけれども、
漫画を読むぐらいしかない。
まるで時間から、無能な凡人である事を突きつけられているようだと思う。


この世界をひっくり返すほどのことを思いつく事は出来るはずもなく、
ただ、他人のやる事に感動して、
「なるほどなー」と深く頷くほかない。
この世の私以外の全ての人間が機能的に生活しているように感じる。
かっちりと、その役目を果たして、きっちりと、生きているように思う。
しかし、私はどうだろう。
私も私の役目を果たしているだろうか。
これといって熱心に労働に従事する訳でもないし、
全くの無能であるように感じるけれど、
それでも何かしらの効力をこの世に与えているのだろうかとふと考える。


何も出来ず、何もやらず、
なんとなく家族や社会の小さな隙間にすっぽりとハマっているような気になって、
滔々と流れに身を任せて生きている。
私は確かに私なりに生命活動を営んでいる。
このささやかな、しかし貴重な確信を得るために、
私は気持ちを言葉に変換してみたりしている。
しかし、言葉には限界がある。
言葉は全てではない。ほんの一部分だ。
ほんの一部分の世界にもかかわらず、
使い方よっては他人を魔法にかけることができる、
そんな不思議な道具である。使い方を知りたい。
うまい言葉の使い方を知って、うまく言いたい。


そんな不毛な欲望が出てきた所で、
私は床につく。
夢をみて人生をリセットする。
朝になったら私はもう違う自分になっている。
そんなことを延々と繰り返しているような気がする。


一見なんの動きもないように見えるけれど、
深い場所で少しずつ動いている。
気付いたらよくわからない場所に移動している。
人生はそんなものなのだと思う。