いま、地方で生きるということ

西村佳哲著「いま、地方で生きるということ」を読む。
東北での震災をきっかけに地元に戻ってくる人、
ボランティアを通じて東北で暮らしだす人、
東京から出て行く人、九州、屋久島での暮らす人々の話し。


有能な若者は都市に出て行く。
私も一度大学進学のため都市に出た。
でも戻ってきた。
何度かもう一度都市に出ようと思ったけれど、
私はもう都市に出たいと思っていない。
私の居場所は「ココ」であり、
きっと「ココ」で骨を埋めるだろう。


どうしてそこまでこの場所に居着こうとするのかというと、
家があるからだ。
長男の兄はもうすぐ結婚で家を出る。
兄はいわゆるマスオさん状態で受け入れられる可能性が高い。
なのできっと結婚してしまうと、あちらの家に属することになると思う。
となると、この家を継ぎ、住む人間が必要になる。
この家は父が日本間や玄関をリフォームして、
神道の御霊社を作ったりして、こつこつと大事に作り上げている家だ。
そんな父の想いがこもった家を手放したくはないし、
守って行かなくてはいけないと思うので、
私はこの家に今後も住もうと思うし、
むしろ住まなければならないと思っている。
だから、この地を出ない。きっと。


そう肝が坐ると、覚悟が出来て、色々と見えてくることがある。
「この地で何ができるだろう」ということだ。
この地に必要なものを供給したい。
私なりに社会貢献がしたい、という欲望が出てくる。


少しずつではあるけれど、
世界を出して行こうとおもう。
今まで閉じこもって、自分の頭の中でぐるぐる考えて、
ということが多かったけれど、
これからは、人と関わって、私なりに何かを打ち出して行きたい。
人に対しても優しくありたい。
人の考えを受け入れ、尊重したい。
そんな気分が高まっている。


一筋縄に「地元大好き!」とは言えないのだけど、
私は誰よりも好きだし、こだわっているからこそ、
たくさんのことが見えるし、葛藤を抱えているし、
とにかく目一杯エネルギーを使っているのだ。
「いやだなー」と思っても簡単に手放さないで、
必死にしがみついて、物事を好転させて行きたい。
それは家族や恋人の間柄でも同じことが言えるのかもしれない。

いま、地方で生きるということ

いま、地方で生きるということ