なくしたもの

とても大事にしていたネックレスをなくしてしまい落ち込んでいる。
道で落としたとして、誰かに踏まれたり、蹴られたり、
ドブに落ちたりしていたらとても可哀想だと思う。
誰かが拾って大切にしてくれていることを願う。


大切にしているものを無くして、
東北の津波で家が全部流された人達や、
台風で川が氾濫して家が水没してしまった人達のことを思った。
母の実家はこないだの台風の影響で、
屋根の上まで完全に浸かったようだ。
古い木造の空家だったから、もう取り壊されてしまうだろう。
家の中には死んだおばあちゃんの着物なんかが置いてあったそうだ。
そういうものも全部水に浸かってしまった。
お母さんはだいぶショックを受けていたけど、
津波で家を流された人たちは、
同じぐらいもしくはもっと大きな痛みや苦しみが降りかかったと言える。


理不尽で不公平な世の中で、じっと耐えて口をつぐんで、
明日に向って生きていくしかない人々がほんとうに大勢いる。
自分が日頃、本当に些細で身勝手な文句が多すぎる事に気付く。
どうでもいい事、つまらない事に心がフォーカスして、
ささやかな幸せさえ自ら壊しにかかる愚かな人間である。
でも、そのように鈍感な人間たちが多様さを産み、
結局、人間が滅ばない仕組みを創っているのかもしれない。
そう考えるとやはり無駄はないのだ。
醜さや愚かさにも、きちんと意味があり、必要があってそこにある。


大切にしていたものを無くして、それでも時は流れ、
諸行無常とはこのことか」と思いながら、
この世の儚さのようなものを実感し、
色々なことが味気なくなる感覚、と同時に、
色々なことが愛おしくなる感覚が起こり、
何をしても、何を感じても、何を考えても、
本当に自由で、誰かを愛する事も、もっと気軽にできたらいいと思った。
「何かを手に入れる」なんて本当はどうでもよくて、
ただただ「あなた」や「わたし」が居る事の奇跡や神秘を、
真剣に純粋に味わう事ができる感受性さえあれば、
他には何もいらないのではなかとさえ思った。