変な一日

好きでもない人に好きだと思われるってなんだかとても居心地が悪い。
しかし人の「好き」という気持ちは誰にも止められないのであり、
それはその人の大いなる表現活動の一種なのだろうけど、
やはり、ははは、と苦笑いするかんじになってしまう。

人には千差万別たくさんの「好き」があり、
感じ方も表し方も違う。
ぶしつけに「好き」というかんじは奥ゆかしさに欠けていて、
生卵を握りつぶしてぐちゃぐちゃにしてしまうような、
そんな子供みたいなやり方は、私は苦手だ。
適度な距離感覚があり、適度に連絡をして、
そんな関係を察知して維持できる人間が好ましい。
しかし、そういう機微を一切察知できない人というのはいて、
「近くに居ればいい」とか、
「想いを伝えればなんとかなる」とか、
「ずっと思い続ければ振り向いてもらえる」とか、
そういった類いの努力をし続ける人とは、
できるだけどんどん疎遠になりたくなる。
何か自分の中の大切なものをぐちゃぐちゃにさせられるのだ。
私の中の不快を察知できないということは、その人と居る間、
私は常にその不快を我慢し続けるか、吐露し続けなくてはいけなくなる。
そんな人間関係は最初から破綻してるのだ。

しかし私は人に変に優しく変に冷たいところがあり、
「嫌いだ」とは言えないし、他人の「好き」を辞めろと言うこともできない。
ただただ不快で、気持ちが悪くて、どんどんイメージが悪くなる一方だ。
こうなると人生から排除したくなる。
しかし不快なことも丸ごと人生だよな、とか、
変な解釈も始まって、とにかく疎遠になるしかないという結論に至る。


世の中は自分の意志だけでは動いておらず、
地震とか津波とか他人の欲望とかで突然ぐちゃぐちゃにさせられることが起きる。
つまり人間の欲望も自然の一部なのであり、
よくわからない理不尽なことのひとつだ。


そんなことをもんもんと考えながら、
ひとり駅から家までの道を歩いていると、
後ろから人が走ってくる音がした。
「ランニングかな」と思っていると、
突然後ろから抱きつかれ口を塞がれた。
驚いたのと恐怖と「やばい」という意識の中、
とりあえず大声は出そうと思って、わーわー喚いたのだけど、
私の声が届く範囲には家がひとつもなかった。
この瞬間ほど田舎を恨んだことはない。
次に頭をよぎったのは「相手が刃物を持っていたらどうしよう」
という恐怖だ。
とにかくずっと大声を出し続けていたら、
その場に倒されて、相手の顔のマスクみたいなのを、
引っ張ったりして、ぐちゃぐちゃ揉み合っていたら、
男は走って逃げていった。
私はその場にへたり込んで、走って逃げる男の後ろ姿をじっと見ていた。
そのうち一台の車が走ってきて、暗闇の中に道路で座り込んでいる私の姿が浮かび上がった。
車はそのまま通り過ぎ、再び薄暗い街灯だけの世界に包まれた。
私は何度も後ろを振り返り、家まで帰ったのだけど、
なんとも言えない気持ちが心を支配した。


他人の欲望は地震とか津波とかで被害を受けたのと同じ。
殺されたり殺したりもそう。
好きになったり好きなられたりもそう。
よくわからない欲望が蠢いていて、
世の中はまわっている。
暴力に似たどうにもできない欲望が世界を動かしている。
そんな実感がますます私の世界を支配した。