グッドラック

言葉にするのがもったいない夜。
そんな時間があることを私は知っている。
夜でなくてもよい。
昼間の白昼夢。
言葉ではいい表せない光の世界をみる。
ほんの少しの間だけでも、
ありとあらゆる事を許せる気持ちになる。
人はそんな成分を持ち合わせていることを知る。
永遠には続かない。
誰かを憎んだり妬んだりする気持ちに捕われることだってある。
それでもふと、そんな気持ちから離れることのできる瞬間が訪れる。
本当に私たちは自分で色々なことを選びとっていることを知る。
勝手に侵入させているのだ。
心の隙間に。
弱った瞬間を見計らってするりと入り込んで取り憑く。
そんな得体の知れないエネルギーのようなものが世界には浮遊している。
絡めとらないように、日々を注意深く生きる。


彼女とは仲間だと思う。
自由さにおいて。
私たちは何ものにも縛られず、
自由に次から次へと何かに夢中になって生きている。
成長とか変化とかそんなものがあるのかどうか知らない。
ただ、私たちはある世界に憧れて、
ある世界に捕われていてその中の住人に過ぎない。
そのことを知りつつ私たちは、
次から次へと渡り歩き世界の謎を解明しようとしている。
いやそんなつもりさえないかもしれない。
身の毛もよだつような興奮を求めているだけかもしれない。
気がついたら遠い場所に居たとしても、
そんなことは関係なく、
やはりただ自由である事において仲間なのだと認識するのだろう。
「グッドラック」
別れ際、心の中でそう呟いている。


この世界には色々なものがすでにありすぎている気がしている。
そして私たちは色々なものを見過ぎて、
色々なことを知った気になっていて、
実は何も知らない手足をなくした子供なのかもしれないと思った。
本当に何かを知る為には、
体を動かして手足を動かして、
体全体で知っていくのだと思う。
人生そのものが「机上の空論」そんなこともあり得る。
何もないところから、頭を悩ませ、心と体の筋肉を使い、
世界を作り上げていくこと。
そのことの必要性を最近は考えている。
親から与えられるものでもなく、他人が作り上げた既存の世界に頼るでもなく、
私たちは無我夢中で一から作り直さなくてはいけないのではないかと思った。
「変化をおそれないこと」
頭と心と体を動かして、筋肉をつけて、汗をかくこと。
そのことこそが「生きる」ということなのだろう考えている。
手を動かし、頭の中は空っぽ。
そんな状態こそ、健康的な人間の活動の根源のような気がしている。