Just Another Diamond Day

この一週間で千葉、東京、名古屋と行った。
アルバイト仲間とご飯を食べて雑談などもした。
珍しく人との交流がたくさんあった一週間だった。


その間に読んでいた本が、
ミヒャエル・エンデの「はてしない物語
大宮エリーの「思いを伝えるということ」
佐野眞一の「東電OL殺人事件」
三冊目の本は友達がくれたものだ。
一見ばらばらだけど、この三冊はどこかで繋がっていると、
勝手に思っている。


最初に読んだのが「はてしない物語(上)」だ。
ネバーエンディングストーリーの元ネタにもなっているそう。
先に同じくミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだところ、これが大当り。
友達が昔この本のことを言っていて、それから気になってはいたのだけど、
読むタイミングというのは突然やってくるものだな、と思った。
次に「はてしない物語」を読んでいるのだけど、これもまたとてもおもしろい。
ファンタジーとは、世界の有り様とはこうだ、と、心底納得できる。
どんな哲学や、心理学や、宗教よりも、
ストン、と腑に落ちる部分がたくさんあって、
というか、それら全てを抱腹する大きな世界が広がっていて、
私の人生は、言ってしまえば、ミヒャエル・エンデ以前と以降になると思う。
それぐらいにおもしろくて、なつかしくて、私の人生観にまで影響を与える、
素晴らしい世界観だ。
ハリー・ポッターや、ナルニア国物語や、指輪物語や、ゲド戦記(全て映画のみだけど)
よりも私は「はてしない物語」が好きだ。
上記のファンタジーも本で読んでみたらまた違うのかもしれないけれど。
これから(下)の方を読み進めていくつもり。


大宮エリーさんの「思いを伝えるということ」という本は、
東京に行ったときに訪れた同名の「思いを伝えるということ展」で購入したものだ。
巻末の大宮エリーさんと谷川俊太郎さんの対談を読んでみたかったので。
本の内容は、会場で使われていた文章全てと、
それにちなんだ短編小説がいくつか載っている。
全てよかったけれど、タムくんの漫画を文章化したような、
そんなさわやかさや、わかりやすさがあり、おもしろかった。
悪い人が一切出てこないあたりが、現代の若い人々にウケるんだろうと思った。
特に音楽をやっている人たちには何かいいエネルギーを授かれるものがあると思う。
谷川俊太郎さんとの対談もやっぱりおもしろかった。
3番目の奥さん佐野洋子さんについて少し語っていたところで、
私はなぜか泣いてしまった。
晩年、佐野さんがどうして病んで、どうして離れて行ったのかが、
谷川さんはさっぱり分かっていなかった様子で、そのことを本人に聞きたい言っていた。
たぶん谷川さんは生前に佐野さんに病んだ理由を聞いたのだろうけれど、
佐野さんは聞かれても答えなかったに違いないと思った。
その感じが、すごく佐野さんらしいと思って、
私は佐野さんがますます好きになった。
もうこの世にはいらっしゃらないけれど、
私は佐野さんの本を今度もう一度読み返して佐野さんに会いに行こうと思っている。


最後に「東電OL殺人事件」。
ひさしぶりに会った千葉の友達に電車の中でもらった本だ。
事件名は知っている。
園子温監督の「恋の罪」という映画が、
東電OL殺人事件が元ネタになってるということを知っていたけれど、
この事件が一体どんな事件だったのかは知らなかった。
今日読み終えたところなのだけど、
ひさしぶりにナーバスになって、精神的に不安定になってしまった。
それぐらいに強烈な事件で、現代の闇そのものが浮き彫りとなっていた。
現代の多くの人間が求める裕福さや、成功の裏に隠れている、
ぽっかりと大きく開いた真っ黒い穴を見た気がした。
きっとそこに辿り着かないと見えない穴なのだろうけど、
想像を絶する空虚な闇なのではないかと思う。
それで人は気付かないうちに狂っていく。
堕落していく。
妙な夢やら希望やらを追いかけると人は堕落せざるを得ない状況に陥るのかもしれない。
東京電力の妙な引力は計り知れないものがある。
そういえば大学時代コネで東電関連の子会社に入社した男の子は、
ゲイであったことを、ふと思い出した。
もちろんゲイが堕落だと言いたい訳ではない。
ただ、何か都会育ちで、いいところに住んでいる人たちは、
自分とは違う次元や、価値観の元で生きていて、
ある種の不安定さを感じたのは確かだった。


この一週間で私は強烈な光と強烈な闇をみた気がした。
そしてそれをひとつに繋げるのがファンタジーだった。
ファンタジーの中では、光と闇が共存している。
光が闇を産み、闇が光を産むのだった。
そんなふうに、くりかえしくりかえし、
どちらも無くなることなく、世界はまわっているのだと思うと、
私はひどく安心した気持ちになるのだった。