日本の自殺

田中慎弥さんの「共喰い」が掲載された文藝春秋
他にもおもしろい記事がけっこうあった。
その中に「日本の自殺」っていう記事があったのだけど、
これがなかなか興味深かった。


以前からローマ帝国が滅びる末期の症状と現代の日本は似ている、
という話しは聞いたことはあるけれど、
そのあたりを踏まえて詳しく解説しているという内容。
この記事読んでると「ああ、日本終わりだわ」とすっかり思ってしまうんだけど、
「いや、待てよ、今私が“終わりだ”と思うことで、まんまと本当に終わりに一歩近づいたのでは?」
なんてことを思ったりして、
一人のおっさんの脳内の妄想、つまり一人の人間の現実を、
もう一人の人間が信じる、そのまま受け入れる事によって世界は、
いよいよ現実にその方向に向かう、というのが安々と起きる、
というのがこの世界の仕組みだと思っている。
しかし、まぁ、どうあがいても今の日本の状況はあまり思わしくはない、
という点においては同意見である。
原発が!」「放射能が!」と集団ヒステリーを起こすのは当然だし、
ヒステリーを起こさないほうが異常な時代である事も重々承知しているが、
原発の事故以前に、この国はどんどんマズい状況になっていたのであり、
にっちもさっちもいかない現状に陥っていたのである。
今は解りやすい原発問題に多くの人々が意識を集中しているけれど、
(結局人というのは自分自身の身に問題が降り掛からなければありとあらゆる問題に気付かない、
という、間抜けな生き物だといういい例だろう。)
大きく目を向けてみれば、世の中にはほころびは多数あるのであって、
その辺りも平等に注目すべきだろう。


まぁ、夏目漱石もよく言ったもので、
「兎角に人の世は住みにくい。」(あ、もちろん違う文脈だけども。)
しかし「快適」や「幸福」ばかりを追求する欲望を肥大させてしまうと、
人間という生き物は、やはりどこかバランスがおかしくなり、「歪み」が産まれる。
だとしたら、ありのままの世界を受け入れて、
欲望もそれほど持たず、バランスよく生きていけたら、それでよし。
なのだと私は思うが、このバランスを取る、という行為が非常に難しい時代なのだと思う。
そしてその要因のひとつが無駄に過剰なエネルギーを発生させる、
原子力発電」という装置なのだと私は思う。


記事内に文明が滅びる末期症状に「幼稚化が進む」と書いてあり、
まさしく「幼稚化」の象徴でもある私は、身につまされる思いだが、
「幼稚」ではない人間など見た事がない、とふと思ったのだった。
そもそも「幼稚」ってなんだ?
まさしく言葉のトリックに陥ったような気持ちになる。
そもそも言葉なんて人それぞれに解釈も違うし、使い方も違う。
しかし何となくわかったような気になってしまう怪しい存在なわけで、
言葉が巧い人間はあまり信用できないな、と思ったりもする。
しかし、人という生き物は言葉で人の気持ちを操るし、世界を動かそうとする。
そして実際操れるし、動かせるのは、ヒトラーが証明している。
ありとあらゆる小説家といった人々もそうだ。
彼らは言葉で世界を見せる。一筋の夢を見せる。
希望も絶望も見せる事が容易くできてしまう。
そのことに私は驚異を覚える。


この世界は、たくさんの世界が集まって出来ている。
ひとりひとりの人間が日々命の炎を燃やして創っている、それが「世界」だ。
まったくのひとつひとつなのかというとそうではなく、
集団で意見を表明したりもする。
原発」という莫大なエネルギーを産み出す装置を創り、
人間に過剰にエネルギーを与え、エネルギーを過剰に搾取し、
喜ばしたり、苦しめたり、する装置を、
「いらない」という人が居て、「いる」という人が居る。
(この「いる」という人は、一種の病気にかかっているのだと思う。
過剰にエネルギーを発し、搾取されることを快楽に感じている、奇妙な人間たちだろう。)
二つの地球があればいいのに。
原発」がある地球と、「原発」のない地球。
しかし現実には地球はひとつしかなくて、魂の性質が違う人間が同じ地球に暮らしている。
そこにある人間の魂の葛藤であり、軋轢であり、歪みは、
痛々しい悲鳴として奇妙な事件として度々新聞に載る。


東電OL殺人事件。
神戸の少年A。
オウム真理教
秋葉原無差別殺人事件。


日々絶え間なく日本のどこかで起きている、
自殺、虐待、家庭内暴力
男の暴力、暴力、暴力、の嵐。
土と海と大気を汚染しつづける放射能


私が産まれてからもこれだけの事件が起きていて、
私が産まれる前には、
第二次世界大戦があり、
原爆が広島と長崎に落ち、
高度経済成長期には水俣病を始めとする、
数多くの公害があった。


現代の「快適」や「幸福」の裏には、
べったりとそのような血みどろの世界が貼り付いていることを、
我々は日々忘れている生きている。


都合良く、おいしいところだけ頂きたい人間がどれほど多いことか。
本来の想像力も働かせず、安易な妄想の世界に逃げ込み、
都合の悪い情報を遮断して生きることに決めた人間がどれほど多いことか。


そんな風にして地球は滅びる。


あ、そうか。
今人間達がせっせとこしらえている表現と言われているものは、
滅びる寸前の痛みを消す為の麻薬なんだ。
アメリカのお菓子みたいな極彩色のあまったるいあのお菓子みたいな。


甘い甘いお菓子を舐めながら、
苦い苦い現実を打ち消しながら生きている人間。
私はこれからも甘ったるいお菓子を口の中に突っ込んで、
地獄みたいな絶望しか転がっていない世界を生きてゆくのだ。