土着の力


こないだから頭の中に浮かんでいる、
岡本太郎の作品「重工業」。
いやーまさしくこれだなー、と。
支配されていく、スポイルされていく感が半端無い。
それもまた祭りのように楽しんだり、
そのすぐ側で人が病んでいたり。
本当に様々な反応があちらこちらで見受けられて、
人間の幸せとか、平等なんてものは、
最初からなかったんだと改めて思い知らされている。


大竹伸朗さんの「全景」を引っ張りだして眺めている。
昨日、久々に大竹さんについて話しをしたのだ。
ほとばしるエネルギーみたいなものを受け止めつつ、
人間の概念、思考回路、がどんどん吹き飛ばされていく感覚になる。
絶え間なく溢れ出るエネルギーを瞬間瞬間にスパークさせていく、
その全記録。
一貫性もなくテーマもなく、
あるのはイメージの発露。
絵で、コラージュで、立体で、写真で、言葉で、
次々と切り取っていく。
その姿に私は共感するし、勇気づけられる。
イメージし続ける生命体。
その事だけに集中して生きていければ、どれほど人生が楽しいか。
命を最大限に利用して実践して生きている姿に、
私たちは溜め息をついてうっとりと眺めてしまうのだろう。


これでいいんだ。
このままどんどんエネルギーを出し続けて、
イメージを出し続けて行けば、どこかに辿り着く。
いや、辿り着かなくてもいい、ただ流れていることが、
生きていることなのだから。


大竹伸朗さんの何がすごいかというと、
宇和島という陸の孤島と呼ばれている場所に暮らしながら、
活動を続けていることだろう。
それは、こないだ芥川賞を取った田中慎弥さんにも言えることだ。
山口県でずっと文章を書き続けて、小説を書いていること。
そのことが私はすごいと思うし、そしてある意味必然なのだと思う。
地方に暮らし、都会からやってくるグローバリゼーションの波に飲込まれず、
その土地から溢れ出る土地の精気のようなものを吸い込み、創作する。
そのことで都会に住んでいる人間に創作しえない、
生命力が漲ったオリジナリティ溢れる作品が生まれる。
人間はそんな風にして体全体で様々なエネルギーを吸収しながら生きている。
そんなことを思ったのだ。


土地は私たちを育んでいる。人間に様々な夢を見せる。
どうやら私はここでの暮らしを気に入ってるようだ。
その気持ちを思い出して、
さらに奥深くに染み込むように、大きく深呼吸をする。
日本を思う、世界を思う、地球を思う。
私はココで、様々な夢を見続けようと思う。


誰かに声をかけられて、夢を壊されることが、
一番悲しいことかもしれないけれど、
夢を壊したり、他の夢を追いかけてしまうのはいつも自分だ。
誰かの甘い言葉にそそのかされず、
自分さえしっかり夢の吸い方を忘れなければ、
いつでも帰って来れる。
本当は誰にでもそういう場所があるのだと私は思っている。