子どもはやがて腐る

なんでも主流ってモノがある。
例えば東京で流行ってるものが世の中の主流だったりする。
何年か遅れて地方にやってくる。
この街にもやっとスタバもやってきた。
「スタバだ、スタバだ」とワイワイする。


主流以外に発生するものがある。
それが主流に勝る魅力があるのかといったら、
無いかもしれない。
でも主流にはない魅力がある。確実に。


何を言いたいのか自分でもさっぱり解らないけれど、
私がこのままこの土地で生ゴミのごとく腐っていくのか、
それとも他には無い新しい輝きを放っていくのか、
は、紙一重である、ということだ。
自分でもどっちに転ぶかよくわからない。
「つまんねー街だな、ちっ」と悪態つくか、
「ここにしかない、こんな魅力があるわ、うふふ」と色気づくか、
は、私の心の舵の切り方次第で、
いくらでも変わることが出来る。
で、私自身「どっちでもいーやー」と思っているのである。
普通は「うふふ」だけに切り替えるんだろうけど、
私はどうしても「マジで終わってる」という感覚を拭いきれない。
「終わってんなーまじ、あはは」
ぐらいのテンションがいいのかもしれない。
「お、たまにはイイところあるじゃない」
みたいな。
勘の鈍い男どもは全員淘汰されればいいと思ったりするぐらいに、
残酷な自分がひょっこりと顔を出し、
かといって、私にそんな権限は無く、
この世は私の為に存在しておらず、
なんというか、「つまらない」のである。


やっぱり何が言いたいのかわからなくなってきた。
世の中に「正しい」「正しくない」はないのである。
多数の意見、多数の感覚があり、それが強い。
少数の意見、少数の感覚は、弱い。
強いのが「正しい」のだ。
例え「正しくない」くても「正しい」のだ。
卑屈にならずに生きたいと思った。
例え周囲にどんなに共感を得られなくても、
私は背筋を正して遠くを見つめていなくては、
私は簡単に腐る。
腐ってはいけない。
腐ったら生き霊になって誰かに取り憑く。
そうならないように注意しながら、
心をコントロールしなくてはいけない。
もしも腐って生き霊になって誰かを不幸にしようとしたら、
真っ先に殺さなくてはいけない。
きっと私の心の中には真っ黒な蛇が住んでいる。


そういう世界を受け入れられなくなったのが、
今の社会。
デパートもカフェも駅も、蛍光灯でいつも明るく、
街でかかっている曲も、全てがパステルカラーの、
浮き足だった世界だ。
そういった世界を強制的に押し付けられて、
無意識のうちに選び取り、少しずつ病む。


自然の中には美しさの裏返しに残酷さがある。
残酷なものは美しいのだ。
それが当然だ。
鈍い男どもの妄想を全部ビリビリに引き裂いてやりたい。
新聞に載っている地元の「事件・事故欄」を見ると、
児童ポルノ関連で捕まっている男が多く、
そんな男達を「かわいそう」とか「馬鹿だな」とか思いながら、
心のどこかで「死んでしまえ」と思っているのである。