音楽できない

私はわりと「自分」というものの感覚が薄い。
薄いから、すぐに他人の感覚によってしまう。
他人の感覚によると自分の感覚が消える。
私はよく他人になる。


他人の「物語」や「音楽」によって引っ張られると、
私は「不安」になる。
私は多分「音楽」ができないだろう。
なぜなら多くの音が鳴っているときに、
私の音を鳴らすことが難しいから。
私は沈黙する。もしくは誰かと同じ音を出す。
「ハーモニー」が難しい。
私は私のままでいいのに、私は私という軸を簡単に見失うし狂う。
私より大きな音を出す人もたくさんいるし、
私よりも魅力的な音を出す人もたくさんいる。
私はどれが私なのかわからなくなる。
だから「無音」の場所を好む。
「無音」だとよく私がわかる。


「さよなら、僕はもういくよ」
という言葉が頭の中にうかぶ。
僕はもう行かなくてはいけない。
他人の音楽によるでなく、他人の欲望に振り回されるでなく、
僕はもう僕の音楽を生きなくてはいけない。
さようなら、君。
世界中を置いてけぼりにして、
ワタシはもう行かなくちゃ。
ねぇ、そうでしょう。
もう、さみしくもないし、みじめでもないし、退屈でもない。
人が、気持ち悪いんだもの。
もう、誰かと誰かのおしゃべりなんて、耳を塞いで、
なんにも聴きたくないもの。
世界は最初から何もなくて、
何もないのが楽しくて、
本当に平気だったのに、
平気じゃなくしたのは、他人によった自分で、
そんな自分がダイキライで、
それでもまだ揺れ続ける自分にうんざりして、
とにかく、僕は僕で居続けることに一生懸命になんないと、
もう、人生は、あっという間に、ほんとうに、終わってしまうんだろう。