暴力と腐敗と再生と女

昨日は進富座で「ヒミズ」を観た。
園子温監督の映画を初めて映画館で観た。
震災の絶望感と、一人の青年の絶望感をリンクさせ、
ズタボロの暗黒の世界を彷徨い、
そっから這い上がらせようという作品。
愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」を経てみると、
素っ頓狂な感じが薄いかな〜という感じもしたけど、
脇を、神楽坂恵や、吹越満や、でんでんなど、
園子温監督のおなじみの強烈な俳優が固めていたので、
終始かなりヒリヒリとした空気感ではあった。
窪塚洋介×吉高由里子の一瞬のからみもなんかよかった。
以前園子温監督がスタジオパークに出演されていたときに、
谷川俊太郎さんの「ちんちん」という詩を朗読されて、
「僕の映画もうんこちんちんみたいなもんなんですよ。」
みたいなことをおっしゃってたんだけど、
やっぱり今回の映画も「うんこちんちん」だった。
映画の冒頭詩を引用しているのだけど、
やっぱり園子温監督は、詩人の要素もたっぷりあるのだなぁ、
と思った。
ちなみに「愛のむきだし」では聖書を使っている。
やっぱり言葉の力は強烈だと思った。
私たちの精神を拘束し形創る。
信仰心さえも操る。
言葉を使う者によって言葉に命が宿る。


「共喰い」「息もできない」「ドラゴンタトゥーの女」、そして「ヒミズ
その前には「1Q84」もある。
これらに共通するのはやっぱり「暴力」なのだ。
腐った男どもの権力によって、
傷つけられる子供、そして女。
傷つけられたものは、また別の誰かを傷つける。
暴力の連鎖は続いている。
今も、どこかで、永遠に、この世にのどこかに存在し続ける。
それでも、女は暖かな家庭や幸せを夢見て、
性懲りもなく誰かを愛し、新たな命を育もうとするのだろう。
それこそ暴力的なまでに。


女も男の暴力にやられて腐った女が多いのだけど、
どこでどう自分の腐っている加減を把握して、
こまめにメンテナンスできるか、という、
自己管理能力が問われる時代だ。
いつのまにか、あっという間に、ちょっとした傷で、
私たちは腐る。
腐りやすいけれど、再生する力もきちんと備わっている。
私たちはそれぐらいに自由自在な生き物だ。