今日より明日

生きてると色んな気持ちになる。
色んな景色が私の中を通り過ぎる。
「ああ、自分はこういうことに直面するとこういう気持ちになるんだなぁ」
となる。
それはもちろん良いことも、悪いことも。


人間てほんとに成長するのかな?
と思う。
ちっとも変わらない自分も居るけれど、
やっぱり変わって行ってる自分も居る気がする。
どうしようもない気持ちに捕われてしまい、
そこを通過して、私は祈るようにこう思う。
「昨日より今日、今日より明日、世界はよくなりますように。」
世界というのは、私の中の世界のことで、
私の外の世界ではない。
というのも、やはり世界は自分の内側が一番重要だと思う。
少なくとも私は。
どんなにあまり人と関わらないように、ぼんやりすごしていても、
問題や難問は人生に必ず訪れる。
「トントン」とドアをノックする。
「トントン、ねぇ君はどうするの?」
と、私に聞いてくる。
あまりの出来事に発狂寸前で、パニックを起こし、駄々をこねる子供みたいな気持ちになる。
「そんなの知らない。わたし知らないよ。」
と、言っても両手で耳を塞いで、頭をぶんぶん振っても、問題や難問は過ぎ去らない。
私はどうにかしのいでいかないといけない。
瞬間瞬間に集中して、正しい判断を下さなければならない。
その中で得ることの大きさと言ったら、
本や、映画や、音楽の比ではない。
生身の勉強、生身の知識、生身の知恵。
私だけの人生に起きた、私だけの事柄。
それをオリジナリティと言わずしてなんと呼ぼう。


「深刻になってはいけない」
と、思う。
何事も深刻になると世界は硬直化する。
だから柔軟に対応する。
理想通りにはけしていかない。
醜い世界は些細なことがきっかけで湧いてくる。
捕われず、引っ張られず、私たちは生きなくてはいけない。
選択し続け、判断を下し続けなくてはいけない。


どうか、「死」が当たり前になりますように。
「死」は「生」と同じぐらい当たり前のものだ。
そのことを、ふと、なんとなく思っている。