辺境の民

ASA-CHANG&巡礼に始まり、
ASA-CHANGのタブラボンゴナイト
インド古典音楽、ヨシダダイキチシタール)+U-zhaan(タブラ)
ASA-CHANGトークレクチャー 「民族音楽 奥の細道
インド古典音楽、新井孝弘(サントゥール)+U-zhaan(タブラ)
北欧音楽カンラン
これまで自分が携わったライブの内容について振り返ってみた。
改めて全くマニアックな内容である。
しかしなんとなく自分から滲み出る何かでもある。
ピアノもギターもない。
全て初めて目にするような珍しい楽器ばかりを使ったイベントばかりだ。


日本人が辺境の民であることを、最近ふと自覚している。
地球上でも辺境のこの国で、
この国の楽器ではないものを使って音楽を奏でる。
しかしピアノもギターも外国からやってきた楽器だ。しかも西洋。
よくよく考えてみれば、アジアの楽器をアジア人が使うという点で、
ピアノよりもギターよりも本来はしっくりくるべきものなのかもしれない。
私たちはいつの間にか感覚が西洋人に侵略されていて、
やはり西洋人たちの植民地同然の精神構造になっているのだと気付く。
気付かないうちに精神が犯されていく。
アジア人がアジア人らしく生き、
アジアの音楽を極める事はいたって普通の事であり、
地球の正しい未来の形なのだろうと思う。
そんな風に文化的に西洋に偏り過ぎていた日本人が、
正しくアジアを見つめる時、我々は日本人、そしてアジア人としての、
あるべき姿を見つけるのだろう。
バランスを戻す。
彼らは本能的に、多様性の中を生き、自分の可能性を突き詰め、
全体のバランスを整える作業をしているような気がする。
それはほとんど無自覚で。


たくさんのことが行き詰まっているこの世の中で、
輝いている事は必ずある。
「ない」と思うのは自分の勘が冴えていないだけだ。
常に光り輝くものを見つめ、前進し続けることを恐れなければ、
私たちはそれだけで充分に生きる価値のある生き物である。