集密書庫

「筋肉をつけなくちゃなー」と思っている。
それは体も心も。
強くて柔軟なものを作れば、
色々なことに怯えなくても済むのではないかと思う。
でも、実際どんどん強くしていったら、
本当に死んでしまうかもしれないな、と思った。
三島由紀夫みたいに「死に対する恐怖」さえも凌駕する、
思考を鍛え上げ、作り上げてしまうかもしれない。
人間の観念が死を乗り越えるとき、
人間はそういう方向に行ってしまうこともある。


「就職活動に失敗して自殺するケースが増加している」そうだ。


そのニュースを聴いたとき、
「どんだけ頭固いんだよ!ったく、若いやつって柔軟さというものが欠如してるよな!」
と、バカにしたものだけど、
人間の思考はそれぐらい強固なものになりやすい。
「死にたい」とは思っても、
実際それを乗り越えるにはそうとうなエネルギーが必要だし、
そうとう強い意志もいる。
「固くて脆い」
私たちはいつもそういう剣を持っていて扱っている。
私たち人間が創りだす観念の世界とは、そういう世界だ。
時々、本能も運命も簡単に飛び越える。


他にも失恋で自殺したり、リストラで自殺したり、
こちらが一方的に思っている気持ちが、
ぽっきりと折れた時、私たちは気持ちが死に傾く。
「短絡的だ」
と思われようが、他人にゴミみたいに扱われ、
心に相当な傷を負った人間は、その痛みに耐えきれず、
簡単に理性を失う。


私は傷つきやすい。
子供の頃からそれが本当に嫌で、歳とったら変わるかなと思ったのだけど、
30歳目前にしてもやっぱり全然変わっていないことに気付く。


個人個人が黙って乗り越えて行くものがあるだろう。
私も黙っていればいいのだろうが、
「言葉で表す」ことで乗り越える速度を速めたり、
より早く次の段階に行こうという思惑がある。
私にとって言葉はなによりの癒しだ。
目の前に風景が広がっていて、それを夢中書いているときが、
何もよりも安心する。
私の目の前に広がっている風景は大したことないのだけれど、
それでも意地になってどんどん言葉にすることに、私は何かしらの意味を見出す。
不条理なことだらけの世の中で、これだけは真っすぐだし正しいと思える。


私は今、大学の図書館でアルバイトをしている。
もしかしたら私が通っていたかもしれない地元の大学。
結局東京の大学に進学したのだけど、
ここでの大学生活も普通にあり得たなと思う。
で、今その大学でアルバイトとして働いているのだけど、
大学生達が日本の古典を学んでいる。
そういった類いの本をたくさん借りていく。
不思議な空間だな、と思う。
大学生の顔を見ていると、
みんな、まだそんなに色んな感情を知らないのだろうという顔をしている。
すっきりしているのだ。
私もきっとあの頃はすっきりとした顔をしていたのだろうと思う。
歳を重ねるごとに、たくさんの感情を知る。
世界はより複雑で理不尽であることを知る。
反対にとても自由で居心地のよい場所であることも知る。
知った分だけ、顔に表れて、複雑な顔になる。
泣いてるような、怒っているような、笑っているような、そんな顔。
私は今よくわからない顔をしているんだろうなぁ、と思う。


集密書庫という場所がある。
一般の学生は普通に立ち入れない書庫で、教授や院生も、
手続きをしないと中には入れない、半地下にある書庫。
私はその場所での作業がすごく好きだ。
最後はこの場所で死ぬのもいい、なんて思ってしまうほどだ。
ここで作業をしているときに地震が来たらいいなと思う。
本に埋もれて本に溺れて本に押しつぶされて死ぬ。
本に殺される。
なんてロマンチックな死に方だろう。
そんな夢みたいな妄想が広がる素晴らしい空間だ。


もう誰も滅多に読まない、誰にも求められていない文章がみっちりと書かれた本に、
私は殺されてもいいと思う。
人類を代表して、本に殺されたい。
どこにも届かない、怨念にも似た言葉達に、ぺちゃんこにされたい。
それでみんなの気持ちが少しでも晴れるならそれでいい。
そんな風におもう。