縄文と弥生

友達に「ヤマタイカ」という漫画を借りる。
作者は星野之宣という人。
これがめちゃくちゃおもしろかった。
解りやすく例えると、
「日本版インディ・ジョーンズ
神話から邪馬台国から大和の流れが、
とても解りやすく書かれている。
もちろん一つの仮説に過ぎないのかもしれないけど、
私は星野さんのこの説に大いに賛同したい。


自分の中の縄文人の血について考えた。
もちろん大陸からの弥生人の血もあるだろう。
日本人は縄文と弥生の血が混ざっている。
どちらかの気質が時々濃く出たりして性質に影響を及ぼす。
日本で創造することに携わる人々は少なからず、
縄文の血が濃く出ているような気がしている。
近年フェスがあちこちで行われているのも、
縄文人の祭り好きの血が影響していると思う。


伊勢についても深く考えさせられた。
伊勢神宮は結界なのだという。
平和を祈る場所。
平和ということは事を荒立てないということだ。
変化を恐れている。
それは日本人的であり、特に弥生の性質が大きい。
地震も、火山も、戦争も、ないように、
人々が温和に暮らしていける国であり続けることを祈る場所だ。
つまり創造的なことをするには向いていない。
昔からなんとなく感じていた「閉塞感」は当然だった。
しかしいくら平和を祈っても、実際は地震もあるし、火山もある。
いつだって危険はすぐ側にあるし、
私たちは決して安定して暮らせない。


変化おそれずエネルギーを爆発させることを求めるか、
平和で安定的な生活を求めて生きていくか、
私たちは時々その二つで葛藤する。


ヤマタイカ」は最近読んだ吉本隆明氏の「真贋」にも通ずる。
今の時代を大きく変えていくのは女の力が大きい。
変化を恐れない縄文系の女が世界を変える。
女がどれほどの発言力があり、影響力を持つかは解らないけれど、
宇宙と地道に交信しながら、
こつこつと自分の世界を形成して、
人々にじわじわと影響を与えている女がいる。
じっと世界を見つめ、思考を繰り返している女がいる。
女は黙ってそこに佇んでいる。
声高に叫びはしない。
チャンスを待って、流れが来たらぐっと引き寄せる。
全て、目を閉じながら行われていること。
みんなが寝ている真夜中に世界をひっそりと動かしている。