救われる日々

「うわーもう駄目だー」
という、やや自暴自棄な精神状態のときに、
すっ、と手を差し伸べられる。必ず。
差し伸べた本人は全くそういうつもりはない。
たまたま偶然、私がそういうタイミングのときに、
私に情報を手渡す。
しかし、なぜだか幾度となく救われているのは間違いない。
そして「うわーもう駄目だー」という状態というのは、
わりと神経が敏感になっているので、
目の前に差し出されたそれに、ぐっ、と入り込む。
普段以上にそれを貪欲に吸収しようとする。
そういうタイミングに渡されるものがある。


ぱっ、と遠目からみると、とても幸運な出会いも、
よくよく見てみたり、長い目で見ると、
あんまりよくない、という出会いもあるということを知る。
好意を持って近づいているのだろうけど、
近づいた側は色々なものを取り込もうとしているので、
近づかれた側は色々なものを差し出してしまうし、奪われてしまう。
全て無意識のうちに行われる。
そして結果的に不毛地帯になるまで奪われ続け、
まったく魅力のない人間に陥ってしまう。
近づいた人間は不毛地帯の人間には興味はない。
あっさりと捨てる。
長い期間、絶望の気分に浸り、なんとか自力でエネルギーや魅力を回復した頃に、
また敏感に察知して、奪いにくる。
なんとなくそういう相性の人がいて、
その繰り返しのようなことが、普通に起こる。


「自信がない」というのはあらゆる不幸の元である。
「自信がない」と他人に依存する。
他人の判断に左右される。
ないがしろにされると、すぐ怒る。
他人といつも比べる。
自分のやりたいことをないがしろにする。
いつも不安で落ち着かない。
そして何よりも正しく他人を愛する事が出来ない。
とにかく「自信がない」というのは人生に不幸の種をばらまくようなものである。
「自信」をどうやって回復すればいいのかというと、
「正しい自己愛」を身につける他ない。
それには無意識にやってしまう思考の癖のようなものも治さないといけないし、
なかなか大変な作業である。
しかし「正しい自己愛」がないと、
結婚して子供を産んだとき、
きっと子供にも影響を及ぼすのだと思う。
そして自分と同じような葛藤や不安や苦しみが生まれ、
何かある度に苦労するのではないかと思う。
「正しい自己愛」なんて言葉で言うのは簡単だけど、
実際はとても難しいことだと思う。
成長の過程で自分で自分をむりやり歪めてしまった部分を、
きちんと見つめ直さないといけないし、
見つめ直した所で治るかどうかもわからない。
でもそうするしか他に方法はない。
激しく自分を傷つけた分、
いつか他人を傷つける。
そんな風に出来ている。
人生は色んな意味でプラスマイナスゼロで出来てるんだと、
近頃、しみじみと感じている。