女で始まり女で終わる

NHKでやっていたオウム真理教の特集番組をみる。
なにが恐ろしいって、あの事件の本質的な問題が、
今だ誰ひとりとして解明できていないということだ。
いや、むしろ明白な解明を避けているのかもしれない。
あの事件を解明するということは、
日本人の隠された真実に近いことを知る、
ということだからだ。
そして今、このタイミングで「オウム」を特集する意味を、
私はぼんやりと確認する。
多分、国の「牽制」である。
国民が国に対する不信感を爆発させない為の抑止効果、
そういう狙いもあったのではないかと推測する。
そしてこの番組の内容と今の自分が最近考えていることが、
リンクする部分が多く、個人的にとても楽しんで観ることができた。


「資本主義社会と社会主義社会を潰して宗教的な国を作ること。」


オウムの元幹部が麻原の発言を証言した内容なのだけど、
もはや単語の全てが過去の遺産のように感じる。
「資本主義」も「社会主義」も「宗教」も「国」も、
全てただの「概念」である。
麻原が考えた「宗教」VS「国」の構図も幼稚過ぎる。
そもそも、もし麻原の思う通りに「宗教」が勝ったとしても、
次の世界は麻原が王様の「宗教の国」の奴隷になるということだ。
脱会を希望する信者を殺すような宗教団体なので、
その国から抜け出そうとするものは即刻死罪だろう。
北朝鮮よりもたちが悪い。
そんな世界の方が今の世界よりも確実に地獄だ。
というわけで、麻原のユートピアが実現しなくて本当に助かり、
国と警察に感謝したいところなのだけど、
現在の日本は、オウム事件の頃よりも、
世の中の世紀末感がより増し、国に対する不信感は膨れ上がり、
第二の地下鉄サリン事件のような事がいつ起きてもおかしくない雰囲気ではある。
(このような国の危機感が警察によるクラブ摘発問題に繋がっていくと思われる。)
阪神大震災後の地下鉄サリン事件だったわけで、
「とにかく世の中を終わらせたい」という潜在意識が具現化したと言える。
不安や憎しみや恨みや妬みは増え続け、世の中は魑魅魍魎としている。
打ち捨てられた魂が至る所に漂っている。
もはや坊主や神主では祓いきれない膨大な怨霊たちが浮遊している。
宗教家の力は衰え、もはや効力が及ばない。
宗教家に憧れた、無能なニセモノが増えたおかげで、
「宗教」という概念そのものの化けの皮が剥がれて来ている。


それで正しいのである。
正しくて真っすぐな眼差しで見つめると、
それが正解なのだ。


結局のところ、私はいつまでたっても世の中の見物人である。
これから起きる事は、
今まで人に苦しみを与えたことのある者は、苦しみが還ってくる。
しかも先祖脈々と受け継がれてきたものが、今生に清算される。
先を予測し自ら血筋を断つものも増えるだろう。
もしかしたらとばっちりを受けるかもしれないけれど、
黙々と自分が本当にやりたい事をやり続けるしかない。
時々見えるこの世の景色をそのまま書き写しながら、
私はやりたいことをやり続けるしかないのだと思う。
歳を重ねて、そこの切り替えが徐々に上手くできてきたように思う。


「資本主義」「社会主義」「宗教」「国」
なんてものは男がベースの世界である。
その世界であーだこーだと喋ってももはや発展性もなければ未来性もない。
そこからもう一つ違う次元に飛ぶことだ。
いつだって大切なのは
「違う観点から物事を考えること、予測すること。」
「想像すること。」


今、必要なのは女がベースの世界だ。
男も、女も、ゲイも、レズも、バイも、女から産まれる。
女が操っている世界があり、次元がある。
そのことをとても抽象的に言葉に表しているブログがあり、
私はこれこそ今解き明かされるべき、ひとつの次元で起きている世界で、
真実なのだろうと思っている。
とりえあず簡潔に言うと「女達の妬み」が世界を動かしているのである。
女達の嫉妬によって、本当に美しく能力のある女が、スポイルされ虐げられていく世界。
「モテない女」が「モテる」ことに執着したのが、
今の世の中を作り上げている。
つまり、世の中は本当に「くだらない」ことで組み立てられているのである。
古代から、我々は「くだらない」ことのために、
戦争したり、経済成長したり、している。
全ては母のため。母とはモテない女のことである。
この世界の馬鹿馬鹿しさを、女という生き物の意地汚さと生態を、
女がきちんと責任を持って言葉で正しく伝えるべき時代が、
ついにやって来たのだと思う。


最近ハラカミおにいさんの音楽しか受け付けられなかったのは、
ハラカミおにいさんの音楽が「まだ誰にも見つけられていない音を発掘したい」
という想いを元に創られていたからだと思った。
私も「まだ世間から見つけられていなくて、これから支持されていくだろう世界観」を、
発見したくて、そして、突然出会ってしまったのだ。
これまでの疑問や、不思議が、色々と解き明かされていく、
そして、私の人生の最初から一つの筋のように真っすぐと伸びる。
そういう私と相性の合う思考のウイルスを、ネットの海で発見したからであった。
私なりにこのウイルスを体内で飼いならし、
私なりの言葉で新しく発信していく、
もはやそういう次元のものであると、私は思っている。