自己分析

最近こういう心の動きがあった。


昨日とある人にこう言われる。
「悩んでるね。旅行いった方がいいよ。」
私はそれを聴いた瞬間、
自分が真剣に考えてる事を「悩み」で片付けられた事に、ムカー、とし、
「悩んでないです。全然旅行なんて行きたい気分じゃないです。」
と、おもむろに反発。
でもその直後ふと、
「もしかしたら自覚症状がないぐらい悩んでるのか?」
と、不安になり、すぐさま、たまたま近くにいた、
最近の私の気分を理解してくれそうな友人尋ねてみると、
「いや、そんなことないよ。どんどんやれって思うけどね。」
と、言われ、
「そうだよねー、大丈夫。これは悩みではない。
真剣に考えたら、そう見えてしまうだけであって、
別に悩んでいるわけではない。」
という結論に達した。


しかし今日、もう一度よくよく考えてみたところ、
やっぱり、これは悩み、というか、
なにか個人的な問題に対するモヤモヤを、
世の中の大きな問題とすり替えているのではないのか?
という結論に至る。
もちろん世の中に対して問題提起はするべきだけど、
世の中の悪いところばかり目に留めて、
しょっちゅう激しく攻撃してしまうという精神状態は、
何かしら、自分自身の人生に不満があったり、
行き詰まっている証拠なのではないかと思うのだ。
で、自分を思い返したところ、やはりここのところ思い当たる節がある。
「もやもやもんもん」している事を、
直接誰かに向って文句を言えないので、
違う問題にすり替えて文句を言って、気分を晴らしている。
そういう側面が少しあるような気がしている。
そしてそういう時というのは、自分が無意識のうちに引き寄せているのか、
腹を立てるべき情報が勝手に向こうからやってきたりするものだ。

その行為を続けていると、精神環境はますます悪化し、
恨みや、呪いや、怨念の、極地の世界に行く。
そこまで行ってみると見えて来る世界もある。
「あーこういう世界があるんだなー」と。
それはそれで、苦しいけれど、
新たな世界の発見でもあるし、他者への理解も深まる。
そんな風にひとりで人間の心を冒険している。


で、今日はもう心の限界に達してしまったので、
ちょっとはらはらと泣いてみたところ、
「あっ」と頭に浮かび、
自分の不甲斐なさや、情けなさと対面し、
「このままではいけない」という気持ちが、
自然と浮かんで来たので、
そのまま抜けれたらいいと思う。


どんなことでも、頭に情報が入ってくるということは、
瞬時にその世界に繋がり、
そこに自分のエネルギーを注ぐということだ。
意識的にしろ、無意識的にしろ、
考えるだけで、そこに繋がり、自分のエネルギーは流れていってる。
そういう仕組みについてなんとなく考えて、
私はエネルギーが流れ出ないように、せき止める事にした。
心のダムにエネルギーを貯めて、
もう少し別のところに使う事に決めたのだ。


今日はもう眠ろう。
何も考えないようにして、どこにも繋がらないようにしよう。
そういう日も必要だ。
自分の心は自分で決める。
なかなか難しいけれど意識的に自分の心もきちんと点検しなくちゃ、
いつまでたっても、よくわからないままで、苦しいままなのだ。