封印を解く

クリアになると見えてくることがある。
クリアじゃない状態というのは、
頭の中がぐちゃぐちゃで、心も八つ裂きにされるぐらいの葛藤で、
「苦しいー死にたいー」
と、ほんとに思う。
でも、ぐちゃぐちゃで苦しいという状態は、
これまでの状態から抜け出そうとしている、
ということなのだと思うので、
なんとかその苦しみに耐え抜いて、
次に抜けるその瞬間を待つしかない。
ほとんど出産に近い。
魂の出産だ。


私が今まで信じていたもの。
純粋に誠実に思っていたものから離れなくてはいけないことに、
私は薄々感じていたのだけど、
やはり心が執着してしまっていた。
それはどうしてかというと、
色々な捉え方があるのだろうけど、
結局のところ、自分の甘えや厭らしさのようなもの、
なんだと思っている。
どのような態度で、それと向き合い、
接すべきなのかが、なんとなく見えて来て、
やっぱり、もっと強く、流されないように、
相手の思うままにならないように、
すべきなのだと、思ったのである。


やはり物事が変わるときというのは、
痛いのである。
痛くて痛くてたまらなくて、
たくさんの人が泣くし、辛辣で悲惨な状況に陥る。
今、どこかしら痛くない人はウソだ。
そもそも生きているということは痛いことだらけだ。
そのなかで、私たちができること、
本当にあるべき姿に戻ること、
そのことを一人一人が真剣に考えなくては、
いけないのだろうと思う。


私は私が思う、美しいことや、
美しいものを求めて。
魂のおもむくままに永遠に夢を見続けなければいけない、
ということだろう。
石牟礼道子さんの言葉再掲。↓


おのれをよく見えないままに、粗末にしていることにも気づかずに、

生きてきたことを全部、そういう、自分の外側の常識の皮膚を引き剥がして、

全感覚で生まれてこなければならないような体験を、

いま、日本人はしていると思う。

いまある絆は本物かどうか、試されていると思う。

たくさんの人を愛せるか、ということじゃなくて、

たったひとりの人でもいいんですけど、

自分で点検しなきゃいけない、

そして出来ることがあれば、実行しなきゃいけない、

黙って