書くことは救うこと

何かを書くことは、救いである。
私は書くことで救って来た。
自分の魂を。
どんどん落ちぶれて、荒んでいく魂を、
そのまま書くことで、なんとか生きながらえ、
命を与えていえる。
自己愛の塊なのである。
自己愛がなければ、書く事なんて出来ない。
自分が感じていることや、
自分が思い付いたことが、
どんなことであろうと、書く、ことをすることで、
私はなんとか「無」への衝動や憧れを、食い止めているのである。
最後の最後、自分という人間を知っているのは、
結局自分しかいない。
自分には自分を説明する義務がある。
永遠に自分という人間が捉える世界を書き続ける事でしか、
世界と繋がる方法がない。
誰とも繋がれないからこそ、
私は自分と繋がり、そこから他の人間と繋がりたいと思っている。
究極的に寂しいから、私はここで何かを発し続けているのだろう。
きっと永遠に誰とも繋がれないことを知りながら、
私が求める何かは、どこにもないことを知りながら、
私はここで死ぬまで何かを発し続けるしか無いのである。