光るこども

いつ頃だろうか。
ワタシの中に光る子どもがいる。
明るい明るいところで、
重力の無いところで、
ふわりふわりと生きている。
なにも寄せ付けず、
ひとりきりで生きてる。
明るすぎて、取り憑く島がない、
という状況。
近づくと、邪な生き物たちは灰になって消えてしまうのだ。
なので近づけないし、そもそも近づこうともしない。
運命に選ばれたものだけが、近づける。
「ああ、ようやくワタシのもとに辿りつきましたね。」
永遠とも思える長い長い時間をひとりですごし、
光る子どもは、勇者を迎えるお姫様のように、
ゆっくりとそういうのだ。


浄化していく。
黒い生き物たちが、
すうーっと消えていく。
ワタシの中に、まだこんなにも、
繊細で、柔らかい、生き物が生きていたことに、
おどろく。
と、同時に、無事に帰ってきたような気持ちになる。


僕らが純粋なものを手放したのはいつ頃からだろう。
たくさんの人たちに出会って、
人間のたくさんの感情や感覚を知って、
私たちはたくさん傷ついてきた。
知ることは傷つくことだった。
いつだって、私たちはたくさんのものを背負い込む。
背負い込むことで、大人になったと思いたいし、
成長したと感じたいのだ。
でも、本当はただ体が重たくなるだけだ。
「ほら、こんなに重たいの。大人になったでしょ。」
って言いたいだけだ。
誰に言いたいのかもわからない。
わからないけど、たくさんのものを背負い込んで、
いつも疲れたフリをしなくちゃならない。
大人は変な生き物だ。
そしてこの世で一番つまらない生き物かもしれない。


光る子どもは誰の心の中にもいる。
打算や計算高くなった大人たちの、
魂の奥の奥のほうで、
光る子どもは黙ってその様子を観ている。
「純粋さや無垢さを失ったら終わりだよ」
そういう眼差しで、じっと観察している。
生きている間、たくさんの重たいものでもがき苦しみ抜いて生きて、
死ぬ間際、「あれ、今まで背負ってきたものってなんだったんだろう」
って気付くのだ。
そんな風に大人の人間の大半は馬鹿げた生き物なのだ。


どうか光る子どもを大切に。
光る子どもを生きてる間に認知する大人は、
ほとんどいないけれど、
光る子どもは誰の中にも、
確実に存在している。