信仰と闇

闇を意識しだしたのはいつ頃だろうか。
たぶん中学生ぐらいのとき、
よくわからない違和感、言葉にならない違和感を感じて、
どこか隅の方にやった世界がある。
今思うときっとそれが「闇」だったのだろう。
きっと闇に飲込まれたら、
私が私でなくなると感じて、
それが怖くて、とにかく隅においやった。
「学生」という身分をなり切ることで、
闇を遠ざけることができた。
でも学生じゃなくなった途端に、
私は崩れだした。
世界が急に不安定で頼りないものになった。
私は必死で、闇に飲込まれないように、
感じること全てを言葉に移していった。
その作業で私は私を保てたのだ。
その作業でしか保てなかった。


人はこのままを生きるしかないんです。
目の前にあるそれを、やり切るしかないんです。
手と足を動かし、
けして頭を変なふうに使ってはいけません。
馬鹿みたいに、それをやりきることで、
達成できる世界があるはずで、
それは、きっと、キラキラとまばゆく、
心の中に暖かな光が降り注ぐに違いないのです。
これは私の中の一種の信仰です。
信仰とは信じて仰ぐことです。
人間の美しさの本質には必ず信仰があります。
それは理屈ではありません。
私はただ美しいことが好きなのです。
理屈で、自分の利害を計算して生きていくことも可能です。
しかし、それでは美しくない。
そして味気ない。
計算通りに生きていくことは、実に味気ない行為なのです。
したがって、我々は馬鹿にならなくてはいけません。
余計なことを一切考えることなく、
目の前にあるそれを、やり切るのです。
神は意図してそれをあなたに与えました。
この世に生きている以上、
乗り越えていくべき何かがあるはずです。
何もないという人は、見てないか、無視をしてるか、
すでに捨ててしまった人です。
美しいと思うことをしなさい。
美しいことは正しいことです。
善悪を超え、ただ、美しいことをやるのです。