脳トイレ

よしもとばななTHA BLUE HERB 食べ合わせがとてつもなくよく、
ぐんぐんとエネルギーが復活する、という塩梅。
よしもとばななは、沖縄の話しの小説を読んでいて、
THA BLUE HERB は北海道在住のヒップホップ。
日本の最北と最南は、やはりマジカルな原初の力がまだまだ色濃く残っている、
地域なのだろう、とおもう、伊勢人。


伊勢には伊勢神宮があるが、
あれはどうも人間の原初の力を弱める作用があると思う。
頭が靄がかかったように、ぼーっとする。
私はこの感じが気持ちいいと感じていたのだけど、
どうもそれは違うんではないかと、最近は感じている。
穢れを嫌う神道はきっと何かを排斥している。
差別をして虐めている。そういう側面があると、踏んでいる。


そんな妄想が私の頭の中を支配し、
それが真実かどうかなんてことはどうでもよく、
そう考えることで、気持ちが落ち着くので、そうしている。
みんな多かれ少なかれそういう風にして、
自分の都合の良い方に勝手に解釈して、
狂っていかないように暮らしてるんだろう。


世界は様々な一方的な思い込みで出来ている。
この世の仕組みをじーっと眺める。
外側に居るつもりでも、実はきちんと内側に居る。
この世に生きているとはそういうことだ。


特定の何かを、ぐっと、深くを知ろうとすることで、
知りたくないことまで知ってしまうことがある。
他人を理解するとは、きっとそういう傷も全部観るということかも、
とも思う。
傷は傷のまま、別に何かできるわけでもないけど、
知ることはできる。
しかし、それも私の一方的な幻想なのかもしれない、
と、思うと激しく落ち込んでしまうが、
そこまで、落ち込む必要もないのかもしれない、
と、すぐさま立て直す。


結局、村上春樹も、よしもとばななも、THA BLUE HERB も、
やってることは同じようなことかもしれない、と思う。
日本人の傷を、意識上に浮上させ、そこから、
目の前で治療を施す。
「こういうことは、こういう風に考えればいい」
というふうに。
そして、どんどん本来の自分を取り戻すような、
そんな感覚に陥らせていく。
そういう言葉の羅列に触れると、
私は「本当にすごいなー、表現てそういうことだよなー」
と、感心する。
今後ともこういう表現に触れていきたいと思う。
こちらのスタンスを、根本を、ビシッと、
定めて行かなくてはいけない時期に差し掛かっているように思う。


厭なものには触れない、無理をしない、
気持ちのいい、清らかな流れを漂っていく。
これまで私が得たわずかばかりの経験と、妄想力と、
最小限の荷物で、最大限に楽しむ。
そういうことを、きちんと、集中的にやっていかねば、
と思うのだ。