幻想の中に真理がある

真理とは掴めそうで掴めない、
雲みたいなものなのかもしれない。


薄っぺらな世界の輪郭を、それぞれが飛び回り、
私たちはどこへ行くのだろう。


突然、現実を真理の世界に一瞬のうちに変えた、
あの神様みたいな人はどこへ行ってしまったのだろう。
あの体験はなんだったのだろう。
いつだって私はあの瞬間を求めているような気がする。
もう一度あの瞬間が私の人生に訪れるのなら、
いつまで生きられる。
きっと私はその為に生きている。


「この命が何の為にあるのか」
とかいう不毛な疑問はもうとおの昔に捨てたと思ったのだけど、
私はまだ問い続けているみたいだ。
まだ答えが出ていない。
いや、答えなど一生出ないのかもしれない。
それでも私は永遠に問い続けるだろう。
「なんで、なんで、なんで」
私の一生は疑問だった。
そのことを私はたった今思い出した。
キーボードに打ち込みながら思い出したのだ。
不思議なことに言葉にし続けていないと、
出てこない言葉というのがある。
言葉は不思議だ。
そこに無いと思っていたのに、
もう目の前に出て来ている。
言葉、言葉、言葉。
私は言葉が好きである。
しょせん言葉、されど言葉。
言葉は、何かを伝える為にある。
なんだかよくわからない「気持ち」を目に見える形に変える、
というのは、なにやら精神衛生上、よいみたいだ。

みんなそれぞれの命を全うしに、
産まれて来たこの地球で、
私は様々な現象と事象を目には見えない力の中を、
精一杯生きている。
みんなそんな風に目には見えない力の中で、
くっついたり、離れたりしながら、
よくわかったり、わからなかったりしながら、
生きてるのだと思うと、
それだけで、くつくつと、可笑しい。
君という現象は君だけである。
後にも先にもない。
君という現象は君しかいない。
そして、儚く、いずれ、この世界から消える。
そういう命のうねりも、
ほとんど一瞬にして無くなっていく。
そういう刹那に生きながら、
私たちは膨大なエネルギーや考えを抱えて暮らす。
不思議な不思議な生き物だ。
どうか、笑って暮らせるように。
うふふ、と笑っているように。
ここから、見守っています。
君が消えるその日まで。
私が消えるその日まで。
雨の日も、風の日も、
暖かく、柔らかい、世界に生きていることを、
願わずにはいられません。
うまく波に乗れたら、準備は万端。
あとは、空高く飛ぶだけ。