キレイもキタナイも全部

「嫌い」と思うのは悪いことだと思っていた。
どんな悪人にもはいくつか良いところがあって、
環境とか、そういうので、しょうがなくそうなった。
だから、むやみに「嫌い」だとか「悪い」だとか、
決めつけてはいけない。
というのを信じていた。
でも、ほんとうに、なんだか「嫌い」と思うことも、
あるんだということを知った。
そしてそう思う自分が「悪い」と思っていたから、
認めたくなかったのだけど、
やっぱり「嫌い」なものは「嫌い」なのだ。
そういう人生の幅がどんどん増えてきているこの頃。
日常には驚きと神秘が埋もれている。
痛いことや辛いことの中にも、
きちんともっと大きくなる為のエッセンスが隠れている。
そしてそのエッセンスを見つけたと感じた時、
何が起きても、それは自分が持ち込んだものであるし、
必要なものなのだと、信じる。
それが、わたしの信仰の一部分であることは間違いない。


日々を怠惰に、何も感じずに生きる事は可能だ。
しかし、私はいつだってどんどん感じて、
どんどん吸収して、みんなが見た事のない景色を見てみたいのだ。
その道が誰も通った事のない獣道だったりすると、
とても盛り上がる。
誰かが通った道だとしたら、寂しくない。
そういうものだろう。


私は「キレイ」も「キタナイ」も全部、
精一杯吸収して、この世界を渡っていく。
怖がって縮こまっている場合ではない。
ぐっ、と集中して見る。
そのことをもっと集中してやっていこうと思う。