ぐるっと一周

最近は色々なことが一周したなーと。
まぁ、そんなことは錯覚で、
ただの今の気分に過ぎないのかもしれないのだけど、
そんなことを感じている。


小難しいことや暗いことを考えていたって仕方がない。
しかし小難しいことや暗いことに、
どうしても心が引っ張られてしまう時期とういうのがある。
「そういうモード」としか言えないようなモードがあり、
それはほとんど携帯電話の「マナーモード」と同じようなものである。
その間に体の中を通過した世界は、
もちろん忘れるなんてことはできないし、
経験としてそこに蓄積されていく。
蓄積されたその記憶を持ってもなお、
求める世界というのは確かにあるのだ。


暗闇の中にさす光。


人生のベースは虚構であり暗闇なのだ。
しかしその中で光るなにかがある。
その光を求めて、
私たちはふらふらと彷徨っているだけなのかもしれない。
精神活動を絶え間なく続け、
白昼夢にも似た恍惚を得る、
その瞬間を求めている。


それぞれがそれぞれの
白昼夢の中を彷徨っているようにも思える。
その姿は、間抜けで、切なくて、愛おしい。
どこにも脱出出来ずに、
もがき苦しみのたうち回ることもある。
突き抜けたと感じる事もある。
しかし結局は何も変わりはしない。
そう「西遊記」のお釈迦様の手のひらの上で転がされる、
孫悟空みたいなものだ。


ブッダはどの境地に立っていたのか。
それは言葉のひとつひとつに現れているのかもしれない。
景色が見える人は、その景色を書き写していくもの。
書き写さなければ消えていく、
儚く、そして何よりも確かなものだ。
そういった世界を追い求めてどこへゆく。
どこにも行かない。
どこにも行かないでどこへでも行けるのが、
理想の生き方だ。