小学校の保健室

宇宙は膨張する。
ぐんぐんと大きくなり、無限の空間へ飛び出る。
世界は全くの同時にそこにある。
ただ、どの世界が自分の中を強く通過するのかという違い。
ただそれだけで、
ほんとうは全くの同時にそこにある。


私の世界では日々世界が流転する。
なにかが起きる。
それは些細ななにかかもしれないけれど、
私はその些細ななにかに救われている。


人は色々な側面を持ち、
くるくると色んな表情をみせる。
美と醜を併せ持ち、交互に変化させてせわしなく生きている。


言葉とはなにか。
言葉とはイメージを伝達する手段。
言葉は世界を創造する。
産まれては消えてゆく世界。


「緑」と言ったら、どこまでも「緑」だし、
「深緑」と言ったら、「緑」よりも少し濃い「緑」。
微妙な違いを言葉にのせて伝えていく。


家族を憎しみながら愛してるように、
地元を憎しみながらも愛している。
地球も憎しみながら愛しているように、
神様も憎しみながらも愛している。


私のベースはいつまでたっても、
小学生のときズルして保健室に行って、
ベッドに横になっていたときのあの気持ち。
「あーこのまま死ぬまで、起きて寝てを繰り返すのかー」
という途方もない実感。
生きているということは、
強制的に時間の流れに身をまかせるということ。
そういう、ある種の拷問を感じたのだった。
生きていることを愛しているし、同時に憎んでいる。


子供はくだらないことに、
たくさん夢中になれていい。
くだらないことでいっぱいにして、
それを手土産にあちらにゆく。
もうそれだけでいい。
他にはもういらない。
世の中にはいらないものが多すぎて死にたくなる。
死なないけど。
せっかく地球に生きているのだから、
「あははははー」
と笑って生き抜いていきたい。
人のために生きる?
私はただ全力で笑って生きぬいていくことしかできそうもない。


くだらないこと(ex政治)で頭を悩ませるぐらいなら、
庭のアリの数を数えている方がマシだし、
健康的な行為のような気さえする。