大東亜共栄圏

最近は久しぶりに工場で働いている。
工場で働くとどこかモードが変わる。
人々が遠くなり、孤独になって、ひどく寂しく、
しかし懐かしい場所に戻ってきた気分がする。
深く深くに潜れる気になる。
体は疲れるが、頭は研ぎすまされる。
どうやら体が疲れるほど、頭はどんどん研ぎすまされるみたいだ。
私は工場の仕事があっているのかもしれない。


第二次世界大戦で日本人が守りたかったものについて考えている。
私たちの祖先は欧米諸国の侵略、植民地化を防ぎたかったのだろう。
だから牙を向き、刀をとった。
負けると解っていても最後まで抵抗し続けた。
【一億総玉砕】
で、原爆が落とされるまで突進し続けた。
そのシナリオは誰にも止めることはできなかった。
歴史の一部分として必要な物語だった。
戦争に負け、原子力発電所がいたるところに設置された。
労働者に打つ覚醒剤みたいに、
日本の高度経済成長を支えた電源だ。
事故が起きて、生命が脅かされてやっと、
その不自然な存在に気がついた。
「我々は原発はいらない」
それをいくら表明しても、原発はなくならない。
なくすことができない不思議な存在になってしまった。
我々はひとつの大きなシナリオの上に居る。
誰が創ったシナリオなのか解らないけれど、
どこかに向ってどんどん進んでいる。
それでも気がついた人たちは、
たった一人でその流れを変えようと必死に静かに闘っている。
ネジが一つなくなれば、その大きなシナリオはうまく動かないはず。
そんな風にして、私たちは最悪のシナリオが実行されないように、
抵抗しなくてはいけない。
魂の交流をさせること。
壁に穴をあけるような、通気のよい素晴らしい作品を創り続けること。
実はそのことでしか、世界を動かしたり変える事はできないのである。
素晴らしい文化は「戦争」という一人一人の人間が持つ悲しい本能に疑問を投じる事が出来る。