日本の女

「わたしは日本の女である」
と自負している。
そして最近その気持ちがふつふつと強まっている。


田口ランディ氏の「サンカーラ」という本を読んだ。
東北の震災後のランディ氏を取り巻く世界と、
内的世界が丁寧に描かれている。
家族にこだわり、世界中のありとあらゆる暴力にこだわり、
また自然にこだわり、それらがランディ氏の言葉によって繋がって、
浮き彫りになっていく。
ランディ氏と私は父親が漁師という点がおなじである。
私の父親はアル中ではないし暴力もふるわないけれど、
やはりどこか欠陥はある。
彼は見栄を張るし、他人の口車に乗せられやすく、
金銭感覚もめちゃくちゃで、見通しが甘い。
そのせいで子供頃から経済的な不安定感は常にあったし、
お金のことで両親がケンカすることも多々あった。
そういう極度な家庭内不安を抱えた子供は、
「普通」に憧れるものである。
「どうして私がこんな目に遭うのか」という自問も持つ。
その辺りがランディ氏と自分がだぶる部分だ。
ランディ氏のように兄は引きこもりでもないし、
自殺もしてないけれど、
やはりどこか不安定な部分はある。
しかしよくよく考えてみると、
不安定さを持っていない人間は居ないのかもしれない、ともおもう。
私は日頃から人間を買いかぶり過ぎてはいやしないかと、
ふと疑問に思った。
「完璧な人間など、どこにもいやしない」
私に今必要なものは寛容さだ。
ランディ氏も結局は父の暴力や兄の弱さが許せず、
随分長い間苦しめられていたようだが、
それを認めることである程度苦しみから解放されたようだった。


その次に読んだのか石破茂氏と宇野常寛氏の対談本
「こんな日本をつくりたい」である。
この本を読んで驚いたのが、
ことごとく「私は日本人だ」と実感させられたことだ。
33歳の宇野氏が語る日本像にはかなり共感させられることが多いし、
戦後日本の思想を踏まえ、同時に軽やかに脱却した、
新しい物の見方のようなものを、確かに感じ取ることができた。
子供の頃、私は確かに「普通であること」を求めていた。
そして、私の中にある欲望を見て見ぬふりし、
素直に引き出すことができず、安定を求めたりした。
そんな空気が日本中の学校にあったことに驚いた。
まったく私の個人的な感覚なのだと思っていたのだけど、
そうではなく、日本という国が全体的に漠然と押し進めていた空気感というか、
ほとんどそれは政策のようなもので、
見事にそれを無意識のうちに感受していただけなのだと知って、
私は安心したというか、自分の素直さに呆れたというか、
そういう気持ちになったのだ。
全く私にはオリジナリティというものが欠如しており、
つまり至って普通なんだとわかった。
そして石破氏が「子供のころからディベートをしたほうがいい」
と言っていて、私は大学生の頃ディベートをするゼミに所属していて、
このディベートというものが本当に苦手で、
嫌な思い出しかないのだけど、やはりディベートは人間の思考を構築する上で、
大事な作業なのだな、と思った。
ひとつのテーマをもとに様々な意見を出し合い、
対立させ、結局どちらが悪いも良いもない、
ということをそれぞれが身をもって理解するというのが重要なのだ。
確かに最近は「◯◯反対」と言ったらそれの一点張りで、
相手の言葉を微塵も聞き入れず、違う意見を一切理解しようとしない人間が多い。
「私が絶対に正しい」と考える人が多く、
様々な立場があり、様々な考え方があり、
という自分とは違う世界に対する想像力を膨らませることが乏しい。
そんな人間たちが大多数で寄せ集まった国で、
民主主義なんて成り立つわけがないのである。
ただのエゴとエゴとのぶつかり合いで、
1億総芸術家のごとく、己の理想を貫こうとする。
それではめちゃくちゃになって当たり前なのだ。
日本人は本当に幼児のように「ぎゃあぎゃあ」と、
甘いお菓子を求めているに過ぎない。
そのようなことを思ったのだ。
日本という国家はまだまだこれからで、
その為のひとつとしてアメリカ依存体質からの脱却がある。
そこには無数の問題が転がっていて、
激しい対立が待っている。
寛容と主張を繰り返し、多くの時間をかけて、
日本は日本のあるべき姿に落ち着いていくのだろう。


本気でこの世界や日本の未来を考えたときに、
見える世界というのがある。
きっとほとんどの日本人が己の夢や欲望が先で、
「本気で日本について考える」
というのをやっていない。
やっていないというかそもそも苦手なのだろうとおもう。
そんな面倒なことは考えていられないのだ。
人生は短い。
夢中になりたいことはたくさんある。
でも民主主義国家に産まれたのであれば、
それは宿命として受け入れて、
全ての日本人が「本気で日本について考える」べきなのだろうと思う。
何に使われているのかよくわからない、
税金や保険を毎月毎月払っているのだから考えなくていけない。
つまりこの国は今ほんとうに面倒で、
ある意味とてもおもしろい時代なのである。
人間がどこまで宿命や運命を受け入れて大人になることが出来るか、
試されている時代なのだ。