2月

昨日1月31日は新月旧正月ってことで、
あけましておめでとう!て感じだそうですが、
死んでました、わたくし。


久しぶりに真っ暗闇に堕ちて、
布団から出られず、
ぐんぐん「クズ人間」ていうイメージに取り憑かれてました。
で、実際「ああ、てかクズなんだ」と理解した時、
胸のつっかえが、ふっ、と楽になり、
クズはクズなりに生きて行こうと決めたわけです。
ええ。別に立派なものになんてなりたかありません。


どうやって復活したかというと、
「つたやのカレーうどん食べたい…」
という切実な想いがずっとあって、
(その時点でさして大した事はない)
まぁ、食べに行って、汗で眼鏡がずり落ちそうなところを、
なんとか頑張って完食して、汗まみれになって、
家帰って、お風呂に入って、ぼーっとしてたら復活しました。
簡単なものです。


そしたら物欲とか湧いてきて、
湧いたところで田舎なんで大したものは買えないのだけど、
とりあえずユニクロに行って、
気になっていたコカコーラトレーナーと、
グレーのスウェットのズボンを買いました。
もちろん家でダラダラする為のグッズです。
そして、パンとか買って、人にあげて、
フィギュアとか古着とか売ってる古本屋行って、
スライム6体(2体は人にあげた)と、
ピューっと吹くジャガーのキーホルダーなども買って、
そんな一日でした。


あけましておめでとう。&新しい自分ウエルカム。


自分を救うのは自分しかいません。


ウソです。


多分いろいろなものに
助けられてます。


とういうわけで、
より一層ずうずうしく生きてゆこうと思ってます。
呑気に深刻に。
真剣に適当に。


azs.

愛のオバケ

君たちの夢そのものになろう。
アメーバみたいに
ぐにゃぐにゃ動いて、
君たちが欲しい形に変化して、
そのままでいてあげよう。
ロボットみたいに正確に、
君たちの夢を忠実に再現してあげよう。
全ては君たちが喜ぶ顔がみたいから。
人が喜ぶ顔が私の生きるエネルギーだから。
可愛い君たちの為に、
君たちの臨む通りの女の子であり、
人形になろう。
みんなそんな風にして、
この世界の苦しみから、
逃げたらいい。
私は君たちの夢であり
幻そのものになりたい。

涙のひみつ

涙はときどき突然あふれる。
それは人の行動や言葉のその奥にある、
美しさみたいなものに触れたとき。
悲しいとか嬉しいとかでは
すまされない何かを知ったとき。
人が生きていて、
そして出会うことの凄み、
みたいなものに触れたとき。
いつもは覆い隠されている
世界の秘密が突然露出して、
とんでもなく美しい世界を感受したとき。
涙はあふれてくる。


人生はどんどん流れていく。
コントロールなんかできない。
次から次へと物事は降ってくる。


この人生であと何回ぐらい、
世界の秘密に触れることができるだろう。
世界の秘密はご褒美みたいなものだ。
そしてたったひとりで感受するものだ。
こんなにも美味しいものはない。
生きてゆける。
生きてゆこうと思う。
世界の秘密はそういうものでできている。

今この瞬間を愛している

今この瞬間を愛している。
目が覚める寸前、夢の中で石を拾った。
暗闇の中でぴかぴか光る石。
まあるくてすべすべした石。
それを手に取った瞬間に、
確かなエネルギーが体中に注ぎ込む。
ただこの瞬間を愛している。
生きているだけで嬉しい。
嬉しい。
生きていることに集中したい。
私はロボットではない。
その瞬間の煌めきを見続けてゆきたい。
言葉それを綴りたい。
深い深い深海に潜りたい。
長い長い洞窟をくぐりたい。
その闇から出てきた時の、
美しい光をみたい。
私はそれだけでいいんだ。
本当にそれだけでいいってことに気が付いたんだ。

多幸感と虚無感のごっちゃ煮

はい。
ひさしぶりに精神が不安定です。
精神が不安定になるとこの空間はとても居心地のよい場所になる。
そして本気で精神が不安定になるとツイッターができなくなるということに気付く。
多幸感と虚無感がごっちゃになってしっちゃかめっちゃか。
会社に電話して明日まで休む事を伝える。
行きたくないんです仕事。
ほんとに全然行きたくない。
一時間を900円に変換して稼ぎ続ける仕事なんて厭だ。
なんで生きてる。
なんで生きてる。
そんなことばかりをまた途方もなく考えている。
ベッドにごろりと横になる。
秘密の呪文を唱えたら涙がぽたぽたぽたぽた出てきた。
魂が震えて手足が痺れる。
しあわせだった。
誰とも比較なんか出来なかった。
私は私の今を生きている。
必死に今感じているこの世界が全てで、
別にそれでもう嬉しくて。
今まで出会ってきた人達の顔が浮かんで、
楽しいひとときを思い出して、
私は本当に幸せだと思って、
だから今死んでもいいと思えた。
むしろこのまま死んだ方がいいんだと思った。
やることあるかもしれないけど、
このままこの気持ちのまま消えたら最高だろうなぁと思った。
ただもう少しセックスがしたかったなーと思った。
でもセックスできるチャンスなんてあんまり訪れなかったし、
そう考えると全然モテなかったなーなんてことを思った。
手と足がボカポかして全身にエネルギーが充満してくる。
頭の奥が痺れて内側から色々と溢れ出てきて、
きっと今私と一緒に寝た人とは一緒に気持ち良くなれるだろうな、
とかそういうことをモヤモヤ考えていたら、
生理が始まってた。
「あーそういうこと」
生理は多幸感をもたらす作用があるらしい。
その感覚を増大させていたらしい。
少し昼寝をして、図書館に行って、
先日亡くなられた谷川健一さんの「日本の神々」を読んで、
宮沢賢治の宝石の本を借りて、
マカダミアナッツ(ロッテと森永で迷ってロッテにした)を買って、
ブログに向ってダラダラ書いて今に至る。
うん。
もう死にたくはない。

言の葉で遊ぶ女

今日も何の因果か仕事を休む事になった。
ここのところずっと休んでいる。
今日で3日目だ。
私はこの流れを分析したいと思い立ち、
こんな風に久しぶりに言葉を紡いでいる。


私がブログを書かなくなったのはいつ頃だろう。
前回書いたのは6月8日。
2ヶ月以上書いていない。
私は言葉を書く必然を感じなくなった。
それは坂口恭平という男に出会ったからではないかと考える。
(実際出会ったわけではなく、本やネットを通じてだけど)
私と彼とは同じではない。
しかし彼はこの世の生きる事の苦しみも楽しみも、
かなり深い部分で味わっていて、読むとそれを体感すること出来て、
その為に、わざわざ私が昔みたいに深く潜って考えたり感じたりする必要がなくなった、
という気がしている。
しかも同じ時代に同じ時を生きている、
というのがすごい。
昔の作家ではない。今生きている作家が紡ぎ出す言葉の影響力に、
私は凄みを感じている。
彼は人々の生きる事の苦悩も快楽も代弁しているような気がしている。
もちろんそれは全ての人間には当てはまらないのかもしれないけれど、
一部分の人間にとってはそれはもう魅力溢れる文体で魂を救っているのだ。
不思議なことに。
そう人間は言葉で音楽で魂を救うことができる。
そのことを今ひしひしと感じている。


言葉で深くに潜ること。
私はそのことに夢中になっていた時期があったし、
今もブログではないけれど、ツイッターで唐突に言葉にしてみたりしている。
たった一人で真っ暗闇を彷徨うのもスリリングで楽しいけれど、
私は最近は誰かと居心地のいい空間を創る作業も、
また楽しいという事に気付いた。
それは近所に友人が出来たというのもある。
誰かと出会い、他人と産み出す世界のおもしろさを味わっている。
都市ではなく、地方の限定された人間と一緒に、
独自の何かを産み出そうとすることで見えるこの世界の可能性。
そういうことを楽しんでいる。


そうだ。
私はまさに今人生を楽しんでいる。


そこにある徹底的な肯定感を私は大事にしなくてはと思う。
現実的なめんどくささと適当に向き合いつつ、
私はこの世界を楽しみたい。
そんな風に思っている。

死の淵

死の淵に立ちなさい。
そこから暗闇をのぞきこみなさい。
その暗闇に光を見つけなさい。
その光があなたの本当の光だろう。
本当の光はあなたを本当に救うだろう。
光を大切にしなさい。
それと同じぐらい暗闇も大事にしなさい。
光に救われることは、
闇に救われるのと同じ。