真贋

吉本隆明氏の「真贋」を読む。
この本が本当におもしろくて今2周目に入っている。


「明るさは滅びの姿」であるという。


世の中はいつだってバカみたいに明るい。
暗いものにはフタをしている。
科学技術など人間の様々な能力が突き詰められ熟練されていく一方で、
人間の精神はどんどん悪くなっているそうだ。
世の中はよくならない。
人間の心は至る所で崩壊している。
かといって、明るさや気持ちよさをとことん追求している人間に、
私はどうしてもついていけない。
でも今の若い人たちはみんなそうだ。
気持ちの良い音楽を聴いて、気持ちの良い世界を夢見て、
気持ちの良い人生を送る。
そのことに躍起になって生きている。


「いい事ばかりを言うやつが増えているときは時代が悪くなっている」という。


私はこの頃、胸が苦しい。
ほんとうに息が出来ないという感じである。
「死ねないやつが生きている」
という言葉が何度も頭の中でリフレインする。
立川談志の言葉らしい。
確かに死ねない。
死ぬのはおそろしい。
よくわからないからだ。
しかし生きているのも同じぐらいによくわからない。
だから息ができなくて、くるしい。
自分の中の何かを追求するのがおそろしい。
その先に待つのは、決定的な孤独と死しか待っていないんじゃないかと、ふと思う。
だから適当にやり過ごして来たのに、
追求するしかないような空気になってきた。


こういうことを当たり前に考えてしまうのは、
吉本隆明氏の「毒」が見事に乗り移ってしまったからだろう。
しかし、吉本氏の辿り方は解りやすくて、真っすぐて、正しくて、
読んでいてとても心地がいい。
気付くと戦前・戦中・戦後を生き抜いた日本を代表する思想家の言葉を、
夢中になって読んでいた。
この思考回路は、日本人にとって宝であるし、
引き継ぐべき大切な何かだと当たり前のように思う。


とにかく我々の精神というのは悪くなる一方のようだ。
もちろん向上する世界もある。
「豊かになった」と錯覚する瞬間はいくらでもある。
でも、その高揚感の裏で様々な世界が崩壊し、没落していく。
私たちはすでに至る所で私たちを支えきれなくなっている。


「なんだか気持ちがいいこと」を軽々しく語りかけたり、
表現する人間はいくらでもいる。
しかし、それは本人が器用に、おいしいところだけを舐めながら生きる能力があり、
みんなが「いいなぁ、羨ましいなぁ、真似したいなぁ」と思っているというだけで、
人間全体の根本の向上にはあまり役立っていない。
もちろん「嫌なこと暗いこと」から場しのぎ的に目を背けることができる、という点はある。
人と人との相性もあるので、なんとも言えないが、
私はそういう世界を目指している人たちと常に心が一緒に動くことができないことがわかった。
とにかく「薄い」し、どこか「騙されている」感が拭えない。


暗いことが言えないのは、
多分それが本当だからだろう。
みんな本当はみたくないものだ。
なんとかそれを本当ではないと思いたい。
必死に明るく、気持ちよく、生きたい。
その人間達の狂おしいほどの切実さが、
敏感で繊細な一部の人間の病みのひとつの原因であることに、
どれだけの人間が気付いているのだろう。
今の世の中「聡明な人間」という生き物は、
もうとっくの前に絶滅していたのだ。


吉本隆明氏の世界の一部分を引き継ぎつつ、
私は私の世界を展開していきたいと思う。
自分が美しいと感じる世界のバランスを、
発掘してこれからも言葉にしていきたい。